マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還」感想(1)(高度にネタバレです!) - 2004年03月08日(月)

 さて、せっかく観たのだから感想でも書こう、なんて思ったのだけど、実際にはあまりうまく言葉にならない。いや、細かいところはいくらでも文句の言いようはあって、「なんで唐突にサルマンは退場してしまっているんだ?」とか(どうも、監督と揉めたらしい)、ガンダルフ魔法使いなのに肉弾戦ばっかりだとか、結局は、フロドが使命を果たしたというよりは、指輪の力に負けたけど結果オーライだったんじゃないか、とか、さすがにあの死人軍団とかは、もうどっちが悪いほうなのかよくわかんないんじゃないかとか、せっかく無敵の死人軍団を指揮したんだから、黒門攻撃まで「もう一仕事!」って出撃させたらラクになったのに、とかいろいろ考えはしたのです。
 でも、そんなのはすべて、些細なことで。
 僕はこの「ロード・オブ・ザ・リング」の3部作が大好きで、たぶん、自分でも時々観るし、自分の子供にもみせてやりたいと思う。

 「指輪物語」は、ファンタジーの原典とも言うべきもので、僕が小学生の頃、「ロードス島戦記」とかで、「すべてはここから始まった」というような感じで語られていたものでした。僕が実際に読んだのは、だいぶ経ってからなのですが。

 「ロード・オブ・ザ・リング」に対する批評のなかで、「あまりに『善と悪』というのが二極化しすぎていて、定型的かつ帝国主義的だ」というものがありました。僕も確かにそう言われればそうだと思う。
 でも、「ロード・オブ・ザ・リング」を観て、圧倒的な戦力差がある国に空爆を仕掛けようとか思う人はいないのではないかなあ。それとも、自分の敵は、みんなサウロンのような「絶対悪」だと決め付けることができるようになるのだろうか?
 実は、ファンタジー世界の優れた点は、「絶対悪」を設定できるという点にあって、少なくとも最近の人間を扱った映画では、「テロリストにも5寸の理」くらいは感じられないと「ストーリーに幅がない」なんて言われてしまう。でも、この「指輪」の世界では、「絶対悪」というのが大前提として存在している。

 どうしてこんな昔のファンタジーが今?と思う人もいるかもしれない。でも、僕はこの映画を観て、素直に正義とか友情とか自己犠牲って素晴らしいなあ、なんて感じてしまったのだ。もともと、潜在的にジャンプで洗脳された世代でもありますし。今、ここまでクリアカットに「善と悪」を類型化した作品って、ありえないものね。
 「悪人にもトラウマがある」とか、そんなのばっかり。
 
 もちろん、それが悪いと決め付けるつもりはないけれど、今の世界は「絶対的な価値」を求めながらも、それを現実には信じられない、という感じがする。でも、「ロード・オブ・ザ・リング」というのは、「安心して信じていい正義」なのだ。

 なんか偉そうに分析してみたけれど、本当はそんなに単純な作品じゃないことは、観た人はおわかりいただけると思う。フロドは指輪の魔力に打ち勝ったわけではないし、結局最後はエルフたちと旅立ち、ホビット庄を去る。「指輪中毒」になってしまったビルボがフロドに与える恐怖感というのは、並大抵のものではないだろう。
 一方、この物語の裏の主役であるサムは、この大冒険のあと、日常に幸福を見つけ出し、平凡な我が家に帰っていく(原作では、サムも「指輪の影響」を受けていて、後日西方のエルフの国に渡ることになる)。
 フロドとサムというのは、補完しあう仲間であると同時に、ある意味正反対の資質を持っている。
 サムが「指輪の責任は背負えないけれど、あなたは背負えます!」と言って、あの山を登っていったとき、僕は泣きながら画面を観ていた。サムは忠実なフロドの下僕であり、友であると同時に、自分の役割を理解した存在だった。でも、考えてみれば、「使命を果たすもの」と「使命を果たすものを支えるもの」というのは、役割分担であり、支えあうことはできても、決して交わることのない関係なのかもしれない。


とりあえず、(1)は、このくらいで。
この作品については、まだ語るべきことはたくさんあるのです。




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