マニアックな憂鬱〜雌伏篇...ふじぽん

 

 

感情と理論と実践と。 - 2004年02月23日(月)

 例えば、タバコは体に悪い、なんてことは、子供だって知っている。
 病院の外来で診察していれば、「タバコは吸っちゃダメ」と言うのが医者の責務だ。
 しかし、例えば僕がうららかな春の日に田舎を散歩していて、農作業の合間に紫煙をたゆたわせているお爺さんをみかけたたら、いきなり「タバコは体に悪いですよ!」なんて注意したりはできないだろう。

 肺の病気の患者さんに「タバコを止めるように」なんてアドバイスするのは当然のことだ。しかし、もっと広い観点からみれば、「健康な人ほどタバコを吸うべきではない」のかもしれない。
 そうやって病気の発生を予防したほうが、医療費だって安くつくし、その人は病気で苦しまなくたって済むかもしれない(もっとも、病気というのはタバコだけが原因ではないのだけど)。
 「肺癌ができてしまったからタバコは止めるように」と言うより、「肺癌の予防のためにタバコを止めるように」というほうが、はるかに理にかなっているような気もする。
 僕たちは、そんなことは内心わかっていながら、「今は自分は元気だから」という理由で、病気を避けるためのいろんな努力を後回しにしているわけだ。

 僕は最近、いろんなサイトを読んできて、肺癌の末期の患者さんに『禁煙しろ!』と叫んで自分の正しさを証明しようとする人たちが多いのではないか、なんて気がしているのだ。

 確かに、理論としては正しい。
 しかし、その一方で、そんな机上の正しさには、ついていけない人も多いのではないだろうか?
 批判している対象の立場に自分がいたら…なんて考えないのだろうか?

 頭の薄い人を「ハゲ!」と呼んで、「自分は正直者だ」なんて浮かれていませんか?
 自分の生活を守るために上司に逆らえない大人を「弱虫!」なんて責めていい気になってないかい?

 僕はキミたちをバカだとは思わない。
 でも、バカをバカにするのが正義だと思っているのなら、その正義はオンラインゲームの中だけで発揮したほうがいい。



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