Comes Tomorrow
ナウシカ



 ある映画監督の静かな死

私が以前勤務していた外科病棟に、映画監督が入院してくるということで、ちょっとした話題に。
でも名前を聞いてもちょっと知らない。
知る人ぞ知る有名な監督さんだということだったけど、病棟の誰もその監督を知りませんでした。

入院の時にはお弟子さんという人が数人付き添い、度々着替えやら差し入れやら持って来てはお世話をしていました。
ただちょっとミステリーなことが…

『事情は何も聞かないで、どうか”コレ”でよろしくお願いします』
そうお弟子さんは深々と頭を下げて、私たちに言うのです。
”コレ”というのは健康保険証を見せないのです。
『お金は必ず現金で払いますから、どうかよろしくお願いします』
こちらとしては自費で払うと言っている以上、それ以上介入することもできず…

(保険証持って来ないなんて変わってるなぁ〜
映画監督というだけあって変人なのかしら?
どんだけお金かかると思ってんのかしら?
そんな無駄金があるなら、もっと有効に使ったらいいのに…)
なんて私は思ってました。
それに、そんななのに部屋は個室ではなく6人部屋に入院されたのです。

そして、大きな手術をして、しばらく点滴による薬物治療もして、それこそ毎月の入院費は100万円単位。
それでも毎回遅れることもなく、お弟子さんという人が医療費を払っていかれました。

『看護婦さん、いつもありがとうございます』
映画監督というから、どんだけ尊大ぶった人だろうと、実は警戒していた私ですが、いやいやどうして、とても腰の低い、穏やかに話をされる、とても瞳の奥に優しさを蓄えている人で、見た目も仙人のようです。

監督は何とか大手術を乗り切りましたが、すでに手遅れの状態で、もう余命宣告を受けられていました。
本人への告知はなかったので、早く病気を治して退院するんだということも話されていました。

痛みがだんだんきつくなってきて、モルヒネを使うようになっていたんですが、我慢強い人で、よほどのことがない限りナースコールも押さなくて、こちらが心配になって見に行くことも多かったです。
苦悶表情をしていて、『痛いんじゃないですか?大丈夫ですか?』と聞いても、『ちょっと痛いですけど大丈夫です』と笑顔を必死につくろうとされます。
同室患者さんへの気配りもされる人で、同じ部屋の人からも慕われていました。

(いったいどんな映画を撮っている人なんだろう?
どうして保険証を持って来ないのだろう?)
看護していく中でそんな疑問が湧いてきました。

食欲もだんだん落ちてきて、みるみる痩せてきて
『でも早く元気になるためには食べなくてはいけませんね。
頑張っているんだけど、なかなか食べれないんです』
監督、初めての弱音でした。

病気からして食べれないのは当然なんだけど、”治る”という希望を持って生きている人です。
人は希望がないと生きていけない。
『そうですね…別に病院食だけじゃなくてもいいんですよ。
何でも食べたい物を食べて下さい。
刺激物はいけないけど、差し入れしてもらってもいいから…
そうだ、お好み焼きとかどうですか?
あれなら栄養がありそうだし、柔らかくて食べやすいかも。
ソースの味が濃すぎると食べにくいかもしれないから、そこは少し取って食べられたらいいですよ』

数日して監督のもとに行くと、差し入れされて食べた後のお好み焼きが残っていました。
『看護婦さん、ありがとうございました。
お好み焼きおいしかったです。
いつもよりもたくさん食べられました』
私は何もしてないのに、嬉しそうに私に感謝の言葉を何度も述べる監督。
本当に良かったと喜んでいた私ですが、それが監督の最期の晩餐になってしまいました。

それから数日ほとんど何も口にできず、点滴だけで栄養をつないでいて、意識も混濁してくることが多くなってきて、そして私が夜勤の泊まりの夜、意識が薄れ、本当にすぅ〜っとロウソクの火が消えるみたいに静かに息を引き取りました。
延命処置はしないでほしいというのがご家族の希望でした。

監督の体をきれいにして、衣服を整え、死に化粧をして…お弟子さんやご家族がドカドカ来て騒がしい…ということもなく、本当に静かに亡くなられました。

看護師の私らが一仕事終えて、ほっとしているところに『困った…』と主治医が頭を抱えていました。
『死亡診断書が書かれへん』
聞くと戸籍がないとのこと!
ああーだから保険証が持って来れなかったんだ、持っていなかったんだ!

ご家族とお弟子さんが来られ、事情を聞くと、監督が若い頃に日本にやってきた中国難民であることがわかりました。
つまり不法滞在者。
数十年も不法滞在のまま、日本という国で映画を撮り活動していたんです!
私たちが聞いていた名前は日本名の義名だったので、皆が知らなくて当然だったのです。
ちょっとビックリ!
お弟子さんも100人位いて、支援者も多いのだとか。

監督が主に撮っていた映画はドキュメント映画で、アジアを中心にストリートチルドレンの支援活動をしているとのことでした。
映画で稼いだお金は、ほとんどそういった恵まれない子ども達のために使われました。
監督のそういった活動に共感した人々が、不法滞在であるにも関わらず、監督の弟子になったり、お世話をしたり、公私に渡り支援を続けてきたんです。
(スゴイ!こんなことが、この日本であるんだ!
だからなのか、だから監督はあんなに穏やかな優しい目をして、痛みに取り乱したりすることもなく、じっと耐え、人への感謝をどんな時も忘れない人だったんだ!)

私は晴れ渡る空のようにスッキリした気持ちになり、『看護婦さん、ありがとう』と言う監督の優しい笑顔を思い出していました。
そして私も心の中で、『監督、ありがとう』とつぶやいていました。


2007年06月03日(日)
初日 最新 目次 MAIL


My追加