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■ わかることの苦しさ
わかる、わからない、わかるような気がする、わかったつもり、わかるわけない、わかるだろ、わかりたい
いろいろあるよね… でも、わかるってこと、すごく苦しい時がある。
私がうつ病になる前、バラバラになっている家族ひとりひとりをわかりたいと私は努力した。
2〜3歳の頃、実の親から子どもの恵まれない夫婦に養子に出された私の父。 実父はそこそこの会社の社長。 父には兄と妹がいた。 2番目の男の子として養子に出されたんだろうか? 10歳の時に、何かに疑問を持った父が自ら戸籍謄本を取り寄せ、真実を知った。 養父は子ども嫌いの呑んだくれ、養母は父を溺愛した。
台湾で生まれた私の母。 11歳の時に母親を病気で亡くし、戦後の貧しい中、まだ幼い妹、弟の世話をしていた。 学校にはほとんど通えなかったらしい。 貧しくて貧しくて、子ども時代は家族のために犠牲にならざるを得なかった母。
そんな2人が出会って結婚して、私と妹が生まれた。 私が物心つく頃から両親の不協和音は見て取れて、そこに巻き込まれていった。 大人の顔色を伺うことが、当たり前のように私には身についていた。
いつも誰かが喧嘩している。 仲良く笑い合えてる日は滅多にない家庭。 お互いがお互いの主張を繰り返し、怒号と暴力が飛び交う毎日。 私は年齢と共に、両親に反発するようになっていった。
それでも私には信仰があったし、やりきれない思いとか満たされない思い、理不尽な不条理な出来事も全部、自分の中であれこれ考えて、自分で無理やりでも処理していった。
父と同じように母と同じように、暴力で人を傷つけたり、貶めたり、ウサを晴らしたり、そんなことはもうしたくなくて、自分が同じような人間になることに逆らって生きてきて、親に抵抗することにも疲れて、親にやられたことをやり返すという反抗もじっと耐えてしないように努めてた時期があった。
大人になって親への理解を示し、父と私、母と私、妹と私、ひとりひとりの思いを聞き、愚痴を聞き、文句を聞き、ウンウンわかるよと心寄り添い、なだめすかし、慰め励まし、私を散々傷つけ悩ませてきた人の味方になり、支えになり、バラバラな家族を私ひとりで繋いできた。
『おまえだけは、わかってくれるか?』と嬉しそうに言っていた父。 『あんただけや、話をわかってくれるのは』と何でも子どもみたいに、私に言いに来てた母。 『ねえちゃんだけや、頼れるのは』と言っていた妹。
私はゴミ箱のように、みんなの吐き出し口になって受け止めてきた。 自分のことは後回し、自分の感情には蓋をして、ただただ理解と共感の情を示し… 家族ひとりひとりの立場に立てば、痛いほど気持ちがわかる。 そうなのか、そうだったのか、それは大変だったね、でも大丈夫だよ、安心してね、私がついてるよ…
私はどんどん擦り減っていきました。 それこそ、自分の生命を削るような思い。 みんなの気持ちはわかっても、肝心の私の気持ちを私自身がわかってなかった。 私は私自身によってボロボロになっていきました。
人のことを”わかる”ということは、時として苦しい。 ”わからない”でいることの方が楽なこと多いかも。 人としては”わかる”だけど私としては”わからない”そんなこともある。 またその逆、人としては”わからない”だけど私なら”わかる”ということもある。
憎しみで人を殺してしまう人の気持ちは、人として理解はできないけど、私は何となくその気持ちがわかる。 そんな感じです。 でも、何でもわかるわかると、物わかりのいことは言ってられない。 時として”わからない”と声を大にして言うことも大切。 ”わからない”ということがわかりましたと言うことも大切でしょう。 とっても難しいんだけどね。 ”わからない”だけで話を済ましちゃうと、それはそれで問題ありだし。
とにかく、わかりあえることもあれば、わかりあえないこともある。 それを踏まえた上で、それでも人を認めていく。 人も大事、自分も大事。 尊敬はできなくても、尊重はしたい。 そういったところです。
自己防衛であっても、人のことはなるべく傷つけたくないね。 でもまぁ〜人と関わって生きてる以上は、それは誰も避けられないかも。 答えの出ない問題はそのままにしておくか、逃げるかしましょうか? 私はそんなわけで、親からは逃げてるわけだけど… 向き合って傷つけあうこともあるしね。 それでいいのか悪いのかはわからないけど、今とれる最善の策を取るしかない。
それぞれに人は、出来ることと出来ないことがあるんだよね。 それを私はわかりたいって思います。
2006年07月02日(日)
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