「にわとりの絵」っていうものを、そういえば最近描いた記憶がない。 そんなことを思ったのも、 まもなく年賀状の図案を考えるシーズンだからである。 「とりどし」っていうのも、微妙な表現ではある。 「とり」という発音から思い浮かべるのは、 「鳥」ということで、それは「酉」ではない。 「酉肉」なんて表記されても、何食わされるんだかわからない感じがする。 鳥といえば普通は鳥類全般のことをさす。 多くは翼を持ち、肺で呼吸をする恒温動物のことだ。 通例を無視して偏った解釈をすれば、 「にわとりどし」ではないのだから、 「とりどし」の図柄は「にわとり」である必要はない。 オウムでもカッコウでもダチョウでもいい。フンボルトペンギンでもいい。 ハリオアマツバメ(世界最速で飛ぶ鳥)もいい。 ただヒュンってなってる絵とか(速すぎてはっきり確認できなかった様子)。 生物学好きには始祖鳥とかもいい。 図鑑のようなやけに精緻な水彩画に、 「現物見たことないけどね」とひとこと注意書きを添えるのだ。 以前「動物のお医者さん」のヒヨちゃんを写して年賀状にしたことがあった。 あれから12年。あの時、私はけっこう若かったようだ(そりゃそうだ)。 だけど、今でも「動物のお医者さん」は愛読している。 あまり古くささを感じさせないから、すごい作品だと思う。 さてと、今年はちゃんと自分でにわとりを描いてみようかな。 近所ににわとりいないかな。 昔は、どの家でも飼ってたもんですけどねえ。 そんな昭和の風景。 といった次第で、「にわとり賀状制作」を息抜きとしつつ、 あくまで本業である学問を頑張らなくてはなあ。 うん、俺って案外まじめだな(なぜ急に納得?)。 こーゆーところが中途半端なのだ。 必修単位を落としても、 私はそれを次の年度で再履修するタイプである。 必修単位を落として、 まあいいかあ、なんて言いながら大学を抜けだして、 劇団でも旗揚げするタイプではない。 そういう自由人な道をゆくのじゃなく、 まあせっかく入ったので、ちゃんと大学を出ておこうか、ぐらいの感覚だ。 でもやっぱり、なにかできるんじゃないかなーとじわじわ思っていて、 周囲や自分を思いやりつつ、静かにきっかけを待っている。 そういう人が、案外世の中にはいっぱいいるのかなあと思う。 私が社会に出ることにこだわったのは、 おもしろくて地味な人を探しにいきたいからなんだろうな。 仕事がはかどらないので、どこか出掛けてみようと思う。 「論文の書き方」という本が、いま欲しくてしょうがない。 何事においても焦りは禁物だと思うのだが、 落ち着かなきゃと思っているのか、無意識にコーヒーを飲んでしまう。 時には青汁も飲もう。 |