いやー、ピザっていうのは、運びようだな。 自転車でピザを運んだらぐしゃっとなった。 でも、自分なりに頑張ったんだ。だから悔いはないよ。 なにより、ちょっとぐしゃっとなってるだけで全然食べられるし。 素敵なピザと美味な餃子と共に、キツイ酒を飲みつつ夜が更ける。 でも最終的にはアイスクリームを食べた。 やっぱり自分、根っからの甘党でございます。 根っから葉っから。葉脈っから。 しかし、今日はやけに眠い。これはどういうことなんだろう。 そして、気付けに頭痛薬を飲むのは正しいんだろうか。 三十分後にはきちんとテンションが上がっていた。 薬っていうのも、怖いくらいの効き目である。 結局、体力はすべての資本であると思う。 元気かどうかは、ものの見方や判断力をも左右してしまう。 いわゆる学力は、体が辛くても精神力でカバーできる部分があるが、 ものの見方や感じ方といったデリケートなスキルは、 肉体的な余裕が大切なような気がする。 不安定な時期というのは、あらゆる自分がせめぎあっているので 価値観までも日替わりである。パーティション!みたく、 頭を切り換えられれば楽なのだろうけど。 あまり哲学的になっても、その世界はどうやらアリ地獄状なので仕方ない。 てきぱきと立ち回る体力と、穏やかな精神が欲しいものだ。 あっ、海産物を忘れた!やべっ。 何事にも、落ち着かないといかんなあ。 元気な時にはここぞとばかり張り切ってしまうけれど、 それも大抵、いつまた崩れるか解らないという 不安から来る空転である。バーゲンセールのような洪水の感覚。 そんな時に哀しくなる。 何かがすごく、もったいない。のである。 勢いで、無駄な買い物をしているような。 それならまだしも、知らぬ間に財布を落としているんじゃなかろうか? 少々のことでは動じないですよ、っていう気持ちで生きてきたけれど、 そのわりには最近動じてばっかりである。 テレビの番組表がだいたい頭に入ってる人、とかね。 もはや“すげぇよ”、の次元を通り越して、 関西弁における「すげぇよ」の最上級の、「アホや」という言葉が似合う。 でも、私が動じるっていうのはいいことだ。 そうやって新鮮な驚きをもって暮らす日々は、私を若返らせてくれる。 このまま無我夢中で突っ走って、そしてまた いつか疲れ切って色々と失うとしても、 またそこで何かを得て、もう一度元気になればいいのだ。 そうやって同じ事を二度繰り返すかもしれないし、 あるいは二度と繰り返さないかもしれないのが、人間なのだろう。 |