乗り換える気力が起こらず、各駅停車でゆっくりと小旅行。 こんなのもいい。 快速に乗り換えたところで実際、かかる時間に大きな差異はない。 ただ気休めだ。気休めで快速に乗るのだ。 精神安定剤だ、「大丈夫、あなたは急げている」という。 でもそんなことも必要ないなと思いつつ。 ゆっくりもいいもんだ、ということをようやく体がわかりつつある。 「一年で一番上空が暖まるのは夏至のある六月だけど、 その熱が地表に届いて我々の生活圏の気温を上げるのは、 その1〜2ヶ月後のこと」 そういう感じで、頭で理解したことを体が理解するのは かなり後になってからである。 私は頭では解っているつもりだったのだ、 たとえば「物事には始まりがあるように終わりがあること」なんかを。 でも実際に、自分の身に、見える触れられるところに 何か具体的な事件が起こらないと、体までは理解しない。 本気で膝が震えて止まらないようなことを、 この先の人生で何回経験するのかわからないけれど、 とにかくそうやって学んでいくことは大きいのだろう。 そうやって歳を重ねながら、広い人間になっていくのだろう。 生きるのは大変なことなのだ。 だからお年寄りはエライ、とりあえず。 とりあえずだけどエライのだ。 少なくとも、こんなしんどい世の中で私より長く生きてるっていう点で。 だから電車で席を譲るんだけど、「いや結構です」。 最近この「結構です」率が上がった気がする。 イマドキの御高齢の皆様って、元気だよなぁ。 午前中、犬に「散歩に行こう」と声をかけたら 「いや、あんたのそれには騙されないぜ」みたいな顔をされた。 これはなんとも失敬な、「今まで私はこういうネタで お前を騙したことはないだろ!」と憤りを露わにする私。 「いやいや、はやさんのことをあっさり信用するほど おいらも落ちぶれちゃいねぇ」と犬。(訳はバウリンガルに依るものではない) 25秒にもわたる押し問答の結果、 「とにかく散歩に行きゃいいんだよ」という意見で一致した。 相変わらず、彼はキュウリが大好物。 野菜ばっかり食べてるとこういう性格になるんだ。私も含め。 「はやさんって犬飼ってるイメージじゃない」と言われる。 そうかなー。めちゃめちゃ犬!だぜ、私(なんだそれは)。 もっとも、「犬」を飼ってるのか「人間じゃないオッサン」を飼ってるのか、 その境界は定かではない。いかんせんあいつら、 目がパッチリしてるとかしっぽ振るとかワンワン鳴くとかの性質があるけど、 要するにオッサンだからね。 「あらその言い回し、私みたいな言葉遣うのね」と言われた。祖母に。 「早速」とか「所謂」とか「所詮」とか、言葉遣いはレトロに行こうよ。 |