今日も出かけたが、それほど疲れはしない。 なんせだらだら歩いて、行楽気分で電車に乗って、 サンドイッチを食べて帰ってきただけだ。愉快なプチ遠足。 学校より近い場所っていいなあ。関東地方の半分近くが該当するけど。 親戚が引越しだったよう。 でも上記の遠足により、私は大して協力していない。 というか、「今日だったのかっ」と気付いたのも数時間前。 細かく用事が積み重なる。 それぞれ単品ならそんなヘビーでもないのだけれど、 やつら集団で襲いかかってきよる。 うーん、やっぱり結局欲張りなのかもしれない。 人より健康体、ってわけでもないのに2つ以上をやろうとする。 我ながら、自分に何を期待しているのだろう……? 何で焦って、何を相手に相撲を取っているのだろう。 忙しければ安心、と思っているんだろうか。 忙しければ成長できる、というのもあながち間違いではないけど。 でも何か、どこか的を射た暮らしがしたい。 その的とはどこかい?といえば、やるべきことと楽しむこと。 それらが基盤になるべきだ。と、久々に家にいながら思う。 そりゃ摂りたい栄養は山ほどあるけれど、 胃袋には限界があるのだ。 今日はこれまで!を見極めないと、続かない。 そうだ謙虚に。うん、出世はほどほどがいい。 せいぜい、アエラの表紙になるくらいの地位で。 いや、アエラのダジャレを考えるくらいの脳で。 でもダジャレも、毎週必ず考えるってすごいことだ。 雨の日も風の日も、春の日も、春分の日も。 そして意外と、目指すところはそんなところで、 日常に疲れた大勢のバカ共を「くすり」と一気に 笑わせてみたいだけだったりもするのだ。 その「くすり」のバックグラウンドには、 数万倍のポテンシャルが必要なのかもしれないし。 頑張っている人はみんなすごい、のだ。何かしらが。 関係ないが、最近ラッパーが向いてると言われた。 そうだ、韻を踏むのは大好きだ。三度の飯より五・七・五。 よし、履歴書の趣味の欄に「韻を踏む」と書こう (もうピアノはちょっと不備があるとわかったところで)。 これを書いている最中に妹がドタドタと部屋に入ってきた。 「鶴瓶さんが事故だってよ!」 えーっ。大変だ。 ていうか、その情報の早さはどうしたんだ。 |