オリンピックが終わったね、と家族に言われて 「え、今年やってたんだっけ」と思う。 よく気付かないもんだなぁ、と感心された。 極端なほど、スポーツには関わらないようにしている。 ただ、いしいひさいち著の「がんばれタブチくん」は名作だと思う。 先生が個人面談で連発する言葉と言えば、三位以内に入りそうなのが 「やればできるお子さんですので」というフレーズ。 やればできる、というのはほぼ普遍的とも言える定理であり、 努力に友情を加えて200℃のオーブンで15分も焼けば、 フワフワの(あるいは、もっちりとした)勝利が手に入れられる。 だいたいのことは、雨だれ石を穿つ如く続けることで得意になる。 やればできる、という現象は実はありふれている。 そこで気になるのは、「やってもできない」場合。 中学一年の時、バレーのサーブのテストがあった。 そのために休日返上でサーブの個人特訓。 しかし、先生に教わっても父に教わっても、 練習中をふくめ一度もサーブが届くことはなかった。 ……というような切ないエピソードは、無数に持っている。 スポーツ。それこそが私にとって「やってできないこと」だ。 1に1を足したらマイナス1になっている、そのくらいの不条理。 その分の損失はどこにいったのだろう。誰かが横領しているのか。 そういった状況における心境を巧みに表現したことわざとして、 「骨折り損の草臥れ儲け」がある。 どこかあっけらかんとした絶望感が漂う、素晴らしい言葉だ。 「やればできる」人はフツウ。 「やってできない」人は変わり者。 そして、「やらなくてもできる」人は天才肌。 みんなそれぞれ、市民権とプライドを持って生きていく。 それでいいじゃないか。できてもできなくても。 サーブのテストがさっぱりで「あー、体育の授業が なくなりゃいいのに」と夢のようなことを願ってから数年後。 体調を崩して本当に授業を受けなくていい立場になった時は 非常に嬉しかった。人生に勝った、と思った(病気には負けていたが)。 以後、運動とはあらゆる意味で無縁の暮らしをしている。 そっか、「やらない」人というのも、ありだなぁ。 |