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スポーツ
2002年02月25日(月)

オリンピックが終わったね、と家族に言われて
「え、今年やってたんだっけ」と思う。
よく気付かないもんだなぁ、と感心された。
極端なほど、スポーツには関わらないようにしている。
ただ、いしいひさいち著の「がんばれタブチくん」は名作だと思う。

先生が個人面談で連発する言葉と言えば、三位以内に入りそうなのが
「やればできるお子さんですので」というフレーズ。
やればできる、というのはほぼ普遍的とも言える定理であり、
努力に友情を加えて200℃のオーブンで15分も焼けば、
フワフワの(あるいは、もっちりとした)勝利が手に入れられる。
だいたいのことは、雨だれ石を穿つ如く続けることで得意になる。

やればできる、という現象は実はありふれている。
そこで気になるのは、「やってもできない」場合。

中学一年の時、バレーのサーブのテストがあった。
そのために休日返上でサーブの個人特訓。
しかし、先生に教わっても父に教わっても、
練習中をふくめ一度もサーブが届くことはなかった。
……というような切ないエピソードは、無数に持っている。
スポーツ。それこそが私にとって「やってできないこと」だ。

1に1を足したらマイナス1になっている、そのくらいの不条理。
その分の損失はどこにいったのだろう。誰かが横領しているのか。
そういった状況における心境を巧みに表現したことわざとして、
「骨折り損の草臥れ儲け」がある。
どこかあっけらかんとした絶望感が漂う、素晴らしい言葉だ。

「やればできる」人はフツウ。
「やってできない」人は変わり者。
そして、「やらなくてもできる」人は天才肌。
みんなそれぞれ、市民権とプライドを持って生きていく。
それでいいじゃないか。できてもできなくても。

サーブのテストがさっぱりで「あー、体育の授業が
なくなりゃいいのに」と夢のようなことを願ってから数年後。
体調を崩して本当に授業を受けなくていい立場になった時は
非常に嬉しかった。人生に勝った、と思った(病気には負けていたが)。
以後、運動とはあらゆる意味で無縁の暮らしをしている。

そっか、「やらない」人というのも、ありだなぁ。