OBの某氏によれば、氏の経験上 レイアウトが得意な人は、キャラクターや漫画を描くのが苦手。 キャラクターや漫画を描くのが得意な人は、レイアウトが苦手。 ……なんだそうだ。 私は思いっきり後者の典型ということになる。 レイアウト。 白い紙に色を付けたり、 写真や文字を並べること。 いやいや、美しく並べること。 そう、完成品は『美しく』なければならない。 レイアウトのデザインは決してアートではないが、 ある意味美術だと思う。まさに『美』の術。 キャラクターや漫画を描くというのは術でなく、 むしろ生理現象に近いような気がする。 キャラクターを生み出すのは、あまり術ではない気がする。 ……もちろん、経験上こうだというのもあるが。 多分もっと血なまぐさい。ものっすごく泥臭くて、 全然余裕がないイメージ。美しさなど言語道断。 自分自身、すごく有機的になる瞬間だ。 生物だ、という感じがする。 なんか「あれ?」と思って、鉛筆を手に取る。 何かのきっかけで産気づく。 白い紙(チラシの裏でもよい)にそれを走らせたら、 人間の出産で言うと分娩室に入った状態。 難産の時もあれば、さらっと生まれる時もある。 で、誕生。 最初は猿みたいに不格好な赤ん坊のようで、 後で見返すと笑える。 それを、何度も何度も何度も……描くうちに、 ちょっとずつ「あれ、これが本当の自分か?」と そいつ自身が気付く。気付いてくれる。 そいつに自我が芽生える瞬間だ。 親の私はただ最低限の愛情をもって、 エネルギー源となる鉛筆を走らせるだけ。 自分の子供を養ってやるようなもんだ。 あとはもう、随時呼び出すのみ。 人に見せて「ここは○○の方がいいよ」と言われたら そいつにちょっと言いきかせてみる。 社会に馴染むためのしつけだ。 するとそいつは形を変えたり性格を変えたり 服装を変えたり色を変えたりして、 ちょっとでも好かれよう、ふさわしくなろう、とする。 社会性が身に付く。色んな場所へ行き、 色んな人に可愛がってもらう。 私であって私でない、大事な子供を持った気分。 たとえお婆さんのキャラであっても、 それはまぎれもなく私の娘。 実年齢はとっくに無視した、精神世界での親子関係。 漫画を描く場合はもっと面白いことになる。 キャラクター同士が友達だったり、 家族だったり、敵同士だったりする。 喧嘩したり、どつきあったり、恋愛したりする。 元を辿ればそいつらは全部私のような もんなのだが、それぞれに勝手な連中なので 明らかに他人同士として暮らしている。 私の中に大勢の人格ができていく。 いや、人格というより空気感か。 ハワイの空気とスイスの空気と オランダの空気が同じ部屋に漂う感じ。 それらがどう違うのかは上手く説明できない。 キャラクター作りは意外と癖になるらしく、 私は3歳頃からずっとやめられないままだ。 失敗したり上手く育たなかったりする ケースの方が多いけれど、 なんかこの先もやめられない予感がする。 レイアウトにもこういう方法論みたいなものがあるなら、 誰かに語ってみてほしいなぁと思う。 ……つくづく偏ってるなぁ、自分。 |