小学校時代、とある藤子不二夫作品を 読んだ時のこと。 街角の風景を描いたコマの中に、 見知らぬ木の箱が置いてある。 「これなに?」と傍らにいた母親に訊いたところ、 「昔のゴミ箱」と答えた。 その漫画が描かれたのは、昭和40年代。 ゴミ箱がプラスチックではなく木で出来ていたころの話。 そういえば、ドラえもんののび太のパパは、 学童疎開の経験があるのだった。 会社では背広だが、家に帰ると褞袍を着用した世代が、 小学生の父親だった時期。 そんな時代に描かれた作品なのに、 ちっとも「古くさく」ないことに驚いた。 キャラクターたちの呼吸の仕方――たとえロボットで あっても――が、自然界の普遍的なリズムと合致する感じ。 生き生きとして躍動感があるというよりは、 地に足の着いた生活感がある。 手塚漫画になくて藤子漫画にある魅力だと思う。 昔買った携帯電話はたいへん古くさく見える。 買った当初はまぎれもなく『新品』であり、 『技術の最先端』であったのに。 私が工業製品にいまいち傾倒しきれない原因は、 このあたりに潜んでいる気がする。 |