Back  Index  Next

朽ちないものと朽ちるもの
2001年11月24日(土)

小学校時代、とある藤子不二夫作品を
読んだ時のこと。
街角の風景を描いたコマの中に、
見知らぬ木の箱が置いてある。
「これなに?」と傍らにいた母親に訊いたところ、
「昔のゴミ箱」と答えた。
その漫画が描かれたのは、昭和40年代。
ゴミ箱がプラスチックではなく木で出来ていたころの話。
そういえば、ドラえもんののび太のパパは、
学童疎開の経験があるのだった。
会社では背広だが、家に帰ると褞袍を着用した世代が、
小学生の父親だった時期。

そんな時代に描かれた作品なのに、
ちっとも「古くさく」ないことに驚いた。
キャラクターたちの呼吸の仕方――たとえロボットで
あっても――が、自然界の普遍的なリズムと合致する感じ。
生き生きとして躍動感があるというよりは、
地に足の着いた生活感がある。
手塚漫画になくて藤子漫画にある魅力だと思う。

昔買った携帯電話はたいへん古くさく見える。
買った当初はまぎれもなく『新品』であり、
『技術の最先端』であったのに。
私が工業製品にいまいち傾倒しきれない原因は、
このあたりに潜んでいる気がする。