人に誇れる作品。 そんなものを、私は残しただろうか。 誇れる、というのがどの程度のものかは よくわからないが、まぁここでの意味は一応 友達に「これ、面白い(?)から見てみてよ」と 軽くおすすめ出来る程度のもの、としておこう。 そう考えると、ない。 少なくとも、近年は。 「私は人よりも絵が上手いのではなかろうか」と 調子に乗ることになったきっかけは何だろう。 人に勧められないような有害物質ばかりを生産する 迷惑な奴が、一体どういう経緯でお絵描きの世界に 入ろうと思うに至ったか。 その答えは、私の場合だと中学の時の社会のノートに あったようだ。 当時一番苦手な科目は社会で(今もだが)、 どうにか社会の成績を上げないとヤバイ、という ことになった。このままでは社会を嫌いに なってしまいそうで、それだけは避けようと思った。 小学校時代は強制的に勉強させられてきた私だが、 もう中学生になったわけだし、学問を楽しむ余地が あってもいいじゃないか(※注・まだ義務教育中 なんだからとにかくやっとけ、と今では思う)。 などと当時の私は思った。 今と考え方が同じである。 苦手な物をイラストで楽しみながら学べないか、と 考えたわけだ。 当時の社会のノートを開くと、そこは極彩色の世界だ。 30色近い水性サインペンと、 輪郭用の黒い油性ボールペンで、 漫画チックなイラストを全編に渡って添えた。 歴史的な流れは、トピックごとに絵を描きまくり、 矢印で縦横無尽に展開しながら、先生からの情報を描き記した。 先生の話は全神経で聞いた。 即座にネタを考え、下書き無しで 一気に色塗りまで仕上げ、授業が終わる時には 描き終わっている。 当時の時事問題(○ウム事件等)がふんだんに盛り込まれ、 先生も面白がっておられたようだ。 とにかく、楽しかった。 面白さを求めて、描いているという行為と、 出来上がったノートが増えていく経過が。 そして迎えた高校入試。 ―――社会の点数は―――26点。(40点満点) 他の科目が良かったから合格できたものの、 実益がともなったかどうかは微妙なノート。 今でも手元に保管している。 楽しさと、実益と。 両方見つめるとなると難しい。 でも、両方損なうくらいなら、 楽しいだけでも構わないではないか。 まだ転んでも、今の私の場合先が長いのだから。 |