今年の6月、ちょっと不注意で後頭部を打った。 大事をとってすぐに帰宅し、 翌日は脳の検査に行くことにした。 その日、多分大丈夫だろう、と思いつつも 久々に死ぬということを身近に感じていた。 頭を打つ人は大勢いるだろうが、そのうち 『打ち所が悪い』人はどれくらいいるだろう。 それは神様か何かが決めた、偶然という名の運命で決まる。 人間の力だけではどうにもならない場合があって、 そんな状況のことを『運が悪かった』と言う。 ――そんな風に思ってしまう。 それくらい人間は非力だ。 非力だから、病気や怪我といった苦痛、 さらに死を恐れる心を持つ。 検査結果を待ちながら、 数年前のことを思い出した。 立ち上がれない、歩けないぐらいの頭痛。 家庭医学事典というぶあつい本の 頭痛のページを繰ると、一番最初に 怖い単語が並んでいた。 くも膜下出血。またはその他の脳の障害。 これらは激しい頭痛を伴い、とにかく 非常に危険であるといったことが書いてあった。 その時、悩んだ。深刻だった。 頭痛の原因は他にも色々考えられたが、 生半可な痛みでない以上、 しかも薬を飲んでも治らない以上、 一番最悪のケースばかりを疑ってしまっていた。 脳の血管に障害が出るにはまだ若すぎるという 事実だけが救いだった。 自分はもしかして死ぬかも知れない。 ひょっとしたら、今日、 ここで交わす会話が最後の言葉になるかもしれない。 世界中が不思議といとおしくなる。 すべてが、平和になれよと願う。 不思議に創作意欲が湧いてくる。 何か少しでも多く描き残さなくてはと思う。 嘆くよりはよっぽど賢い行動だと信じて。 ―――……結局、結果は良しと出た。 脳にも血液にも異状は見られず、 痴呆の心配も当分ないと言われた。 年齢相応の健康な肉体であると診断された。 それはそれで哀しかった―――なにしろ、 当時テレビを見るのも辛いくらいの頭痛が 24時間止まらなかったのだから。 他の、元気そうな人達と一緒にされては納得行かないじゃないか。 で、『なんで悪いところが見付からないんだよ』 という、私の逆ギレ患者人生が始まった。 原因が見付からないので治しようがない。 結局漢方薬と民間療法で治すことにし、 かなり改善されたこんにちでも 日によって体調にばらつきがあったりと、 わりとアンニュイな生活をしている。 ―――もし“これから”が無いとしたら、 “今日”、何をするだろうか。 一分一秒が大切で、雑草の一本さえ愛おしい。 むろん、息をしている自分のことを 普段以上に愛しながら。 それにひきかえ今の私は、 やりたいことを見失いつつある。 そう思う若者は結構いるだろう。 いや、あまり若くない世代の中にも、 そう思う方はおられるのではなかろうか。 自分が本当にやりたいこと。 『天使にラブソングを2』の中に、 確かこんな台詞があった。 歌手になるのを諦めようとしている女の子に、 ウーピー扮するシスターがこう言う。 「あんたがもし朝目覚めて、 歌うことしか頭になかったら、 そりゃあ歌手になるべきよ。」 ……ちなみに、今日の朝目覚めて 私が思ったことは、 「やばい!違う非常口探さなきゃ!!」 ………また、デンジェラスな夢を見ていた。 追加:何をやりたいのか、ますますわからない。 |