自分には人生の師匠がいる。相手はそれを知らない。 私はいわゆる、彼の人の一ファンでしかないのだから。
私が物の見方を変えてしまったのか、師匠がどうかしてしまったのか、最近全く、師匠の事が頭に浮かばない。 かつては呪わしいほど、約十年ほどの間、彼の人の言動を注視しては脳裏で反芻し、糧としてきたのにも関わらず、だ。
やはり彼の人の一ファンだった方は、このような趣旨の事を言っていた。 「嫌いになったわけじゃない。ただ何度も接するうちに、彼の人の表現が自分の一部になってしまって、あってもなくても構わない状態になってしまった」 そして、別の場へ行ってしまった。
その感覚がわかる。 私の中にも、彼の人によって構築された基部が形を成しつつあるのだろう。
かつてのように、彼の人への憧れに身を焼かれる事も無く、自己の変化が悔しくもなく、森羅万象が悲しくも無く、どこか超然としている自分がいる。
師匠にしがみつく力を失ったわけじゃないと思う。ただ、師匠の目線がうつろになってしまったのを感じているだけだ。 どこを見ているのかわからない。 自身にとって大事な人たちの為に動いていた師匠が、今は誰の為に動いているのか。 全くわからない。いや、わかりたくないだけなのかもしれない。
何をしてもいいよ。ただ、自分はなんとなくため息をつくだけ。
それなのに。 一番苦しかったあの頃に出会った師匠の言葉は、呟きは、その表現は、どうしてこんなに涙をさそうんだろう? 決して技術があるわけでもなく、強烈な個性があるわけでもなく、ただただ普通に、はにかみながら、見知らぬ誰かへ愛を語っているだけなのに。
急ぐ事ではない。だからもう少しここにいて、見ていようと思う。 それでもこの中途半端に安らぐ待ち時間を、どう使用すればいいのかわからない。 だから今は、とりあえずため息をついてみる。 「空元気も元気」というし。
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