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200 手紙

ついに200回か〜・・・。100回から200回までは随分とかかったなぁ。更新の頻度落ちてるから。でもまぁ、今くらいが一番マイペースでできてるんじゃないかと思うんで、こんなんだけど見守っててくださいな。もうちょいあげようか、とも思ってる。
さて、200回、300回と区切りがつくごとにその感想を述べてても進展がないんで、今回は「手紙」について。
少し前から、静岡に住む友だちと手紙のやりとりを始めた。大学生の頃、カラオケ店の店員をやっていたときのバイト仲間で、今は帰郷している友だちだ。
なぜいまさら手紙なのか。別にメールアドレスを知らないわけじゃないんだ。これまでもメールで連絡を取り合っていたし、それで特に不自由を感じたこともない。
きっかけは村上春樹著「ノルウェイの森」を再読したことだった。この小説には手紙をやりとりするシーンが多く出てくる。メールのない時代で、伝達の手段はもっぱら電話か手紙。そんな小説でのやりとりを読んでいて、なんかとても特別なもののように感じられた。ずっと手紙を書きたいという気持ちはあって、このことがきっかけで「書こう!」と思った。
今でこそメールがあるから手紙を書くことはなくなっちゃったけど、数年前までは手紙が当たり前の伝達手段だった。メールが普及して、確かに便利にはなったけど、便利さと同時に手紙の良さは失われてしまった気がする。
字を書くということ。宛先を書く、相手の名前を書く、最後に様をつける、そんなこと。そして手紙を投函し、また、手紙を待ちわびるということ。
いざ書いてみると、手紙を書くこと自体がとても楽しかった。これは新鮮だから、ということもあるけど、それとは関係なく、ただ「手紙を書く」という行為が前から好きだったことに気が付いた。そういう人は少なくないはずだ。
手紙を書く相手として、静岡に住む友だちがまっさきに思い浮かんだ。彼女(友だちは女の子です)とはバイトを辞めてからも連絡をとりあっていたんだ。でも実際バイトだったり、大学だったり、仕事だったり、そういうリアルタイムの関係を続けている人でないと、時間に追われて連絡を取り合う必要っていうのはそんなにない。携帯のメールが当たり前のこのご時世に、そんなリアルタイムの関係が途絶えたときに、そのまま関係が途切れてしまう人も少なくない。でもそんなのはイヤだから、そんなとき手紙っていうのはちょうどいいと思うんだ。(現実的な距離が離れているのなら、なおさらいいと思う)
これが進化の逆をたどっているとするなら、それも大事なことなんじゃないかと思う。
2004年12月15日(水)

VOICE / マッキー

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