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2001年07月18日(水) おもひでぽろぽろ

既に試写等でごらんになった方もいらっしゃるかな?
もうすぐ『千と千尋の神隠し』が公開になりますね。
個人的には、予告を見る限り、
『もののけ姫』よりは乗れそうな気がします。
(私はあの映画を見て、たっぷり1時間は寝ました。
テレビ・ビデオ等で後々フォローしたけれど、
これを見ることは日本人の義務、とまで
おっしゃっていた三輪明宏さんにドツかれそうです。
でも、苦手なものは苦手なので、どうにも…)

だから、本日はこの映画です。

おもひでぽろぽろ
Memories of Teardrops

1999年日本 高畑勲監督


製作は宮崎駿氏なので、「宮崎作品」とくくられますが、
心成しか、評判の芳しくなかった「宮崎モノ」は、
みんな高畑さんが監督している気がします。
その上、『平成狸合戦ぽんぽこ』はともかくとして、
私は結構おもしろいと思ったけどなあ…という作品が多いのも、
1つの特徴です。

この映画が公開になったのが1991年で、
映画自体は、主人公タエ子の1966年(子供時代)と
1982年(27歳OL)の時代が
交互に展開されるというつくりでした。

タエ子が住んでいたのは、東京の練馬あたりでしょうか?
「演劇をやっている日大のおにいさん」が登場するので、
江古田とか、「日大芸術学部生」になじみのある町と見ました。
(私のごくごく身内で、
あの学校に5年も通っていた勉強好きが約1名おります)

1966年、小5のタエ子には、流行に敏感な美大生の長姉と、
秀才で宝塚フリークでちょっと性格のきつい次姉がいます。
あとは、タエ子を「ター坊」と呼ぶ無口な父親と、
良妻賢母型の母親(納得いかないところもありますが)、
そして、父方か母方か不明(父方?)のおばあちゃんと、
5人家族です。

おやつのマーブルチョコを食べながら、
ピアノの上にフランス人形が置かれているような部屋で、
テレビで「ひょっこりひょうたん島」を見るタエ子が、
1968年生まれの私から見ても、
そこそこ裕福に育ったということはわかります。
あれで気のいい家政婦さんの1人もいたら、
石坂洋次郎が描いたプチブルの世界でしょう。

タエ子には「田舎」がありません。
夏休み、同級生がこぞって「田舎の親戚」の家に遊びに行く中、
何とか熱海の温泉に連れていってもらうのが関の山で、
長い長い夏休みを、1人でラジオ体操してつぶしたりしていました。

1982年、27歳のOL・タエ子が、長い夏休みをとって行った先は、
長姉の御亭主の本家に当たる山形の農家でした。
タエ子は大張り切りでベニバナ摘みをし、
にこやかに迎えてくれた親戚の人たちとも仲よくなり、
殊に、かなり遠縁に当たるトシオとは、
何か色っぽいものが芽生えそうな気配すらあります。
が、27歳のタエ子は、この山形行に、
「11歳の自分」をも連れてきてしまいました。
折ふしで思い出す11歳当時の記憶が、
(時には人に聞かせるスタイルで)
効果的に顔を覗かせています。

「ここが好きなら、トシオの嫁になってここに住むか?」
本家のおばあちゃんの一言が、タエ子には冷水となって浴びせかかります。
この前振りとして、「田舎は最高!東京は人の住むところじゃない」的な、
タエ子の、「本心なのに、おべっかに聞こえる」台詞が
かなり効いていました。
みんなの嫌われ者だった男の子に対して11歳の自分がとっていた、
ある意味残酷な態度を思い出したりして。
「今の私は、あのときの私と同じだ…」

その彼女の葛藤のごときを拭ってくれたのはトシオでした。
あのエンディングが安易だと感じた人も多いようですが、
私は、ああしかしようがなかったろうと思っています。
ついでに言うと、彼女がその後幸せになったかどうかは、
この映画とは全く別の話という気がしました。

1991年というと、まだバブル崩壊の実感もなく、
何となく浮かれていた頃だったと記憶しています。
金銭的に満たされた働く独身女性が、
精神的にも満たされたいと願っての精神活動等を指して、
「自分探し」という言葉が使われ始めた頃でしょうか。
いってしまえば、『おもひでぽろぽろ』は、自分探しの映画でした。

ただ、この映画の設定は、あくまで1982年なんですよね。
要するに、後日談が存分に語れるだけのブランクがありますが、
映画の中では全く触れられていません。
原作となったコミックは読んでいないので、正確なところはわかりませんが、
この辺の処理に、高畑さんの優しさと残酷さの両方が見える気がしました。

「東京でのタエ子の生活の中には、辛口な描写もあったのに、
田舎の人はみんないい人、みたいな表現が安易」
だという趣旨の感想文を、当時読んだことがあります。
でも、そうでしょうか?

タエ子が田舎で歓迎してもらえるのは、話の筋からして自然だし、
平生接していない人には、
「親切」という名の警戒でもって接するのも普通です。
(があがあ悪態をつけるのは、親しい、近しい証拠ですよね)
そんな彼女に、「嫁に来るか(プロポーズというよりスカウト)」と
単刀直入に言ったおばあちゃんは、堂々としたものでしたが、
その家の嫁(といっても年配)のフォローなど、イカニモという気がしました。
「こっちに来たって外に働き口はあるし、考えてみても…」

あの辺のくだりを見てどういう感想を持つかで、
見た人のそれまでの境遇が、何となくわかる気がします。
山紫水明という意味ではない「田舎」というのを
多少なりとも知っている人ほど、
見ていて痛かったのではないかと思います。
だから「嫌い」と言う人と、
「うまいとこ突いたなあ」と思う人に分かれる、
それだけの話です。
あるいは、1982年版タエ子のエピソードは一切無視し、
1966年の少女タエ子の生活に、ひたすら郷愁を覚えたりするのも、
(その時代を知らない人間には、新鮮さがあるし)
1つの見識かと思います。

この映画に関して好意的な声って余り聞いたことがないのですが、
丁寧なつくりだし、絶対悪い映画ではないと思います。
無理に感情移入しようと思わなければ、
そこそこ楽しめるのではないでしょうか。
トシオ(吹替えを担当した柳葉敏郎そのもの)のお気に入りだという
ハンガリー民謡の使われ方も印象的に残るものでした。


ユリノキマリ |MAILHomePage