Dailymovie
DiaryINDEX|past|will


2001年05月13日(日) ママの想い出

今日5月13日は日曜日……ということで、
5月の第2日曜日、「母の日」に当たります。
「母」を描いた映画は、どちらかというと昔の日本映画に
多い気がしますが、
例えば“ヤルセナキオ”と揶揄され、
最初は本国での評価が不当に低かったという成瀬巳喜夫の、
ずばり「おかあさん」というタイトルの映画がありましたし、
「いわゆる母子モノ」とくくってしまえるほど、
母の無償の愛の美しさとか、「瞼の母」系のお話とかは、
枚挙にいとまがありません。
外国映画に目を転じれば、
近作ではスペインの「オール・アバウト・マイ・マザー」が
日本でも大評判になりましたね。
(私にとっては、見たいと思ったときに限って
塞がっているビデオの1本です)
親しみのあるアメリカ映画でも、
「愛と追憶の日々」のシャーリー・マクレーン、
「ステラ」のベット・ミドラー、
「フォレスト・ガンプ」のサリー・フィールド、
「母の眠り」のメリル・ストリープ、
「ディープ・エンド・オブ・ジ・オーシャン」のミシェール・ファイファー、
「ここよりどこかで」のスーザン・サランドンなどなど、
実力派の女優たちが、泣かせたり、イラつかせたり、共感を呼んだり。
「笑わせるお母さん」というのもいて、
これは私のある種の目標でもあるのですが、
「パンチライン」(日本未公開・ビデオでどうぞ)のサリー・フィールド、
「ディス・イズ・マイ・ライフ」のジェリー・ガブナーなど。

でも、どの女性にしても(ミドラーですら!ファンの方、済みません)、
何しろ女優さんだから、あんな人がお母さんだったらステキだろうにと
思わせてしまいます。
ちなみに、私にとって「母親になってほしい女優�癸院廚蓮�
ダイアン・キートンです。
皆さんはいかがですか?

今日御紹介する映画は、大分古くなりますが、

ママの想い出 I Remember Mama
1948年アメリカ ジョージ・スティーブンス監督


貧しいけれど肩寄せ合って生きているフィンランド移民一家のお話ですが、
この母親が、一家の美しさと優しさを一手に引き受けているような女性で、
その上、困ったことがあったときに、おっとりと手をこまねいていることなく、
なかなか駆け引き上手な一面を見せるところがステキです。
母親の愛情をたっぷりと受けて育った長女が、
小説家になり、自分の家族を回想するというような構成でした。
「思い出すのは、ママのことばかり」なんですけどね。

「若草物語」のジョオや、「足ながおじさん」のジルーシャも、
有り余るような文才を何とか認めてもらおうと、
身の丈に合わないような物語を書いて、
「もっと自分にしか書けないものがあるはず」ということに気づいたとき、
立ち戻るのは、自分のルーツというやつでした。
この長女とて同じことです。
だから、物書きでいたい、物書きになりたいと熱望する人にも、
何らかの刺激になる映画ではないかと思います。
安易な私小説という意味ではなくて、
自分の目で見たことを自分なりに表現するというのは、
案外難しいものです。
それでいて、やっぱり自分にしか書けないことであることも間違いなく、
持っていき方次第で、大変な傑作にもなり得るわけで……。
戦争に巻き込まれたような経験がなくても、ごく平凡な生まれいででも、
殊更なんてことない人生だったように見えても、
何か胸を打つものを書くことはできるはずです。
(と、思いたいなあ、自信ないけどね)

この一家は、貧しい家計を協力し合って支え合っていますが、
今月はこれにこのくらいかかるから…と、
緻密に計算して、決めゼリフをママが言います。
「今月も貯金を崩さなくていいわね」
でも、その言葉に隠された本当の意味に、
子供たちは全く気づきません。
気づかせないのが、ママ(とパパ)の分別というやつだったのでしょう。
子供たちは、自分の家が貧しいことを自覚はしているけれども、
したいこと、欲しいものがあると、
諦めざるを得ないことと、自分の力の範囲でできることを見極め、
賢く対処するすべを、おのずと学ぶのでした。

「うちはお大尽じゃないんだからねっ」と、
何か金銭の絡むことがあると、すぐにカリカリ、イライラする
己に置き換えてみると、全く恥ずかしくなります。
あの母親の優雅さは、まねしようにもできませんが、
せめて、夫や子供たちに「私に任せといて」と言える程度には、
恥ずかしくない仕事をして、給金を受け取りたいものです。


ユリノキマリ |MAIL |HomePage