| 2007年09月07日(金) |
「毒舌さんの孤独」に思う |
ボクは言葉さがしに よくウィキペディアを利用します
作詞なんぞをしてるわりに ボクはボキャブラリーがてんで少ないのです(恥:笑)
なので 知らない言葉やあやふやな言葉の確認 日々のなかで?な言葉を知る術として 辞書の感覚で使っています
最近のウィキペディアは 政治的プロパガンダの手段にされている面も見えますが それはそれで左右のせめぎあいを観察してたりもします
先日ある言葉を調べていたら たまたま「や●きた●じん」さんの項にたどりつきました
実に様々な逸話が膨大に掲載され 読み応えのあるページになっております(笑) ※お時間のある皆さんは一度ごらんください
「我を通す」ことに徹する
良い意味でも悪い意味でも これは実に勇気の要ることだと思います
氏にはおそらく「敵」が大勢おられることでしょう
また氏の所業を表面的にとらまえて イメージだけで嫌う人もおられるでしょう
同時に 氏には「味方」も大勢おられることでしょう
ただ氏の側に立っている人のうち 真の味方と呼べる方の数は決して多くはなく 氏の様々な「価値」に結びつく人達に囲まれているのでは?
僕的にはそういう風に思えてなりません
当たり障りなく生きること 他人に対するリスペクトからの派生ではなく おのれの孤独を回避したいがための融和 これを拒否する道はなかなか選べるもんじゃないと思う
『孤独を覚悟する』
自分で選んだ生き様とはいえ 毒舌さんには毒舌さんなりの苦悩が必ずある
ボクは見極められるようになりたい
毒を吐く人のその言葉が 本当に「毒」なのか「薬」なのか
また表向き「薬」のフリをして 心に「毒」をはびこらせた人の思惑を
いちいち惑わされないためには 結局自分の胆力を鍛えるしかないのだ
修行だ
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