囚はれのシネマ日記
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寒くなるにつれて炬燵に入ると読書スウィッチも入つた模様。 炬燵でいろいろと読んだなかで岩波文庫になつたミシェル・ビュトールの『心変はり』は感心するほどよくできた小説だつた。 450ページのどこにもあくびを誘ふ箇所がない。 この小説は大学のヌーヴォー・ロマンの授業のテキストだつたので1970年ごろに河出書房の邦訳を買つて読んだことがある。 テキストとしてたしか原書も買つたはず。 でもあのころはこの小説のよさがまるで分かつてゐなかつた。 主人公を「きみ」と二人称で呼ぶことのあたらしさ。 パリの妻とローマの愛人といふ設定は、じつはパリに象徴される現実とローマに夢見るものの往還であることにさへ気づいてゐなかつたと思ふ。 むしろ倉橋由美子がで主人公を「あなた」と呼び、東京から京都へ失はれた恋人を求めて旅する『暗い旅』の方に魅了された。 しかし『心変はり』の素晴らしさはなんと言つても描写の素晴らしさなのだ。 うつりゆく車窓の風景、車室の風景、駅の風景、同じコンパートメントに乗り合はせた乗客の表情や仕草、それらすべてが主人公に反映してなすこころの風景。 その当時(1950年ごろ)パリからローマへは21時間もかかつた。 飛行機でヨーロッパへ行くよりはるかに長い! 朝の8時にパリを発つた「きみ」は翌朝の5時すぎにローマの終着駅に着くはずだ。 列車での眠れない夜を含めたひとりの時間のなかで「きみ」はこれまでに至る愛の旅を振り返る。 これから先の愛の道程を空想する。 しかし… 居心地のよろしくない三等の座席にゆられてやうやく「きみ」は重大なことに気づき始める。 そして大きな断念をする。 とても大切な愛についての決定事項。 これは電車に乗つて窓の外を眺めながらぼんやりあれこれ思ふことの多い私のやうな読者のために書かれた素敵な列車心理小説なのだ。 訳者の清水徹さんはあるとき、この小説と同じ時刻の汽車に乗つてローマを訪れ、この小説をガイドブックにしてローマを歩きまはつたと書いてゐる。 もちろん私だつてさうしたくてたまらなくなる、そんな小説だ。
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