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「あらしのよるに」が映画化?!
青様の日記で見て唖然…。
声が誰某…ということはアニメなんですね。 つか、まぁ、あれは実写ではしないだろうけど…。 それにしても、いったい何を考えて作るのやら…という感じです。
んで、来年に完結編が…という話も呆気…。 なんでですか! あれで終りじゃダメなんですか?
まぁ確かに、ダメだという気持ちも判らないではないですけれどねぇ。 子供に読み聞かせていたお母さん達が (現段階での)最終巻を見てパニックなった… という話を多々聞くに到っては特に。 どうして良いのか、どう説明したら良いのか判らない、 そのどうしようもない困惑は良く判ります。
ただ思うのは、その困惑は当然のものであって、 困惑こそがあの作品の核心なんじゃないかと。
あれは確かに愛情であり友情でもあったのだろうと思う。 でもそれよりももっと、ただただ、 どうすることもできない大きな衝動と困惑だったのでないかと思える。
たってそもそも、あの道は、 どう足掻いてもどう転んでも安楽な道になど成り得ないじゃないですか。 本能に逆らってしまった以上、 それがどんな愛情であろうと友情であろうと、 とてつもない矛盾と困惑と苦悩が付きまとうに決まってる。 それを子供相手にも納得の行く単純な解釈にしたいと思う方が間違っている。
あまりの矛盾の中で、 どうしようもなく混乱し困惑し苦悩すれば良い。 そこから目を背けてはならない。 そんな経験は滅多に(というかほとんど)無いだろうからこそ、 その困惑を抱えて行く事で、 それに近い何かに直面した時、 あぁ、あれはもしかするとこういうことだったのだな… という風に思う事ができるに違いない。
映画化、そして完結編の作成というのは、 納得できなかった人達への贈り物かもしれないけれど、 私はあれをハッピーエンドにしてしまったらおしまいだと思う。 決して有り得ないハッピーエンドを作ってしまうことによって、 そこにある困惑をなくしてしまっては、何のための物語か。
同じ題材で、もっと短くしかしもっと端的に描いた さいとうひろしの「ねこと友だち」は、 そのあたりの困惑と苦悩をしっかりと受け止めているように思う。 決して欺瞞にならず、胡麻化さず、現実をリアルに見つめ、 苦悩と一種の諦めをも抱えたまま、 開き直りとすら思えるほどのしたたかさと潔さで、 その“友だち”を続けようとする。 それは決してハッピーエンドではないけれど、 そこには大きな覚悟と救いが存在すると思う。
既刊分は持っているし、見届けるために完結編も買うかもしれないけれど、 内容は不安な情報でありました。
と、とうとうと書いてしまいましたが、 決してケンカ売ってるとかじゃないんで…
あの主題って、どうしても、 語らずにはいられないんです。 いろいろと、自分の中に未だ解決の付かないものがあるから…。
ちなみに特別編の存在は知りませんでした。 各種レビューなど見て、 買うかどうか非常に未知数。
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