Experiences in UK
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2006年03月27日(月) 第137週 2006.3.20-27 昨年夏のスコットランド旅行1

Spring has come. まさにそんな雰囲気のロンドンです。先週半ばまでコートの襟を合わせずには出歩けないような寒い日々が続いていましたが、先週木曜くらいから日に日に暖かくなり、今週からはコートも必ずしも必要ないくらいの気温になりました。日曜にサマー・タイムに切り替わって日が延びたこともあって、まさに「春が来た」という気分です。

本日(27日)のニュースによると、先日紹介したボルグ氏ウィンブルドン・トロフィーの競売が、本人の意思により取りやめになったそうです。よかった。

さて、もはや半年以上前の話になりましたが、記録ということで、昨年夏休みの旅行について書き残しておきます。
昨年8月20日から9泊10日のスコットランド旅行に出かけました。ロンドンの自宅から自家用車でまわり、総走行距離が約2,300マイル(約3,700キロ)というなかなか壮大な旅になりました。スコットランドには南西から侵入し、時計回りに一周するというルートをとりました。夏のフェスティバル開催中のエディンバラは避けて、主としてスコットランド北西部のハイランド地方に滞在しました。

(第一日:チェスター)
初日は、イングランド北西部の街チェスターに寄り道をしました。チェスターは、ローマ時代以来の城壁に囲まれた街で、中世以前の雰囲気を色濃く残した歴史情緒あふれる街でした。

ローマ人が英国内に残した三つの主要街道は、ロンドンを起点として三方向に伸びていて、それぞれ終点の地にはローマ軍団の本営地が置かれていました。主要街道の一つであるウォトリング街道は、ロンドンから北西の方角に延びてチェスターに至る道であり、チェスターという街の名前の語源は、ローマ第二十軍団の本営として築かれた「城塞」とのことです。
現在、ローマ人の城塞は残っていませんが、彼らが築いたものが原型となった城壁がほぼ完全に街を取り囲む形で残っており、城壁の上を散歩しながら街を一周することができます。

ところで、ローマ帝国によるブリタニア(英国)征服とはいつのことなのか。第一幕は、紀元前55〜54年のカエサル(シーザー)によるブリタニア侵攻だったようですが、カエサルはブリタニア征服を果たさずに帰ってしまいました。
本格的なローマン・ブリテンの時代が始まるのは、紀元43年のクラウディウス皇帝によるブリタニア征服後であり、それから紀元410年のローマ軍撤退までの約400年間、ローマ人によるブリテン島の支配が続いたとされています。

過日、ずっと積読にしていた「海のかなたのローマ帝国―古代ローマとブリテン島」(南川高志著、岩波書店)に目を通したのですが、ローマン・ブリテン時代(あるいはローマ化という概念)の英国における評価は、時代とともに大きな振幅を描いてきたそうです。
同書によると、元来は英国内でほとんど無視されていたローマン・ブリテン時代に対する評価が高まり始めた契機は、大英帝国による植民地支配の進展だったそうです。ローマ帝国のブリテン島支配に関し、野蛮な原住民に対して洗練された文化をもたらしたものとして肯定的に捉え返すことで、大英帝国によるインドなどの支配も肯定されるという文脈からの再評価があったとのことです(その後、考古学の世界では、ローマン・ブリテンは過大評価されているという見解の揺り戻しがあったらしい)。
歴史の評価も時代の価値観によって大きく変わるということの典型例なのかもしれません。

この日の宿舎は、当地に来て初めての試みとして、モーターウェイ(高速道路)のサーヴィス・エリアに設けられたホテルに泊まりました(Welcome Break Charnock Richard Motor Way Services Area)。可もなく不可もなく、値段相応の宿でした(ファミリー・ルーム60ポンド)。

(第二日:湖水地方)
二日目は、イングランド北西部にある有名な観光地の湖水地方に立ち寄りました。
英国の文化遺産・自然遺産の保全に絶大な貢献をしているナショナル・トラスト発祥の歴史に深く関わっている湖水地方は、風光明媚な景観が残されている場所として人気の観光地になっています。ピーター・ラビットの生みの親ベアトリクス・ポター氏が、自らのふるさとである湖水地方の景観を守るため、絵本ピーター・ラビットによる印税ほか全財産をつぎ込んで一帯の土地を購入したことが、ナショナル・トラスト運動の礎となったそうです。
このため、標高900メートル程度のいくつかの山々が連なり、それらに囲まれて大・小の氷河湖が点在する美しい風景と豊かな自然環境が、今もそのまま残されています。平板なイングランドの景色の中にあっては、湖水地方は変化に富んでいるという点で人々をひきつけるものがあるのでしょう。

湖水地方観光の中心はウィンダミアという湖畔の小さな町ですが、個人的な感想としては、観光客の数が町のキャパを大きく超えているなあと思いました。とにかく人と車が多くてあふれ返っていました。
当地の「売り」である美しい自然環境を保護するために開発を意図的に抑えている分、観光サービスに関する需要と供給の体制がアンバランスになっていると考えられます。この問題に関しては、きちんと開発をした方が自然保護という観点からも結果的には良い方向に働くのだという考え方もありえるわけで、日本ではそんな風に整理されがちのような気がします。
悩ましいジレンマのようですが、悩まずに頑として「開発抑制」の方針を守り続けるのが英国の全体的な国民性のように思います(例外はあるでしょうが)。更に言うと、精神論だけではなくて、それを実践するための方策(ナショナル・トラスト運動が一例)を考え出すところまで含めて、英国の国民性なのでしょう。

夕方に高速道路でスコットランドに入り、この日の宿舎はグラスゴー中心市街にあるPremier Travel Innでした。今回の旅行で学習したことのひとつに、子供連れで旅行する場合、英国の巨大ホテル・チェーンPremier Travel Innは極めて有益だということがあります。
事前にこどもの年齢と人数を伝えておくと、それにあったベッドメイキングをしてくれ、ファミリー・ルームは十分な広さがあってかつ清潔感もあり、実に快適でした。価格はファミリー・ルームで一室50ポンド前後(朝食は別)とリーズナブルです。多くの場合、ホテルにレストランが併設されていて、疲れて出歩くのが億劫な時はホテル内で夕食を済ませることも出来ます。さらに、当日の正午頃までならキャンセル料が発生しないというのも嬉しい点です。
家族連れで観光に便利な場所でお得な宿を探す場合は、Premier Travel Innであれば常に一定水準のサービスが保証されると考えても間違いないと思います。

(第三日:A82を北上)
午前中にグラスゴーの町を散策した後、英国最大の湖であるロッホ・ローモンド(ロッホとは、ゲール語で湖の意味)に向かいました。東側湖畔で水遊びをしてから、西側の湖畔沿いを走る国道A82を北上しました。

このA82のドライブは、雄大でありながらも厳しい印象のスコットランドの自然を満喫できる極上のものでした。絶景が続きますが、なかでもクライマックスとなるのは、氷河に削られて出来たU字谷グレン・コウ(グレンの谷)です。
壮絶かつ雄大な地形の眺めとともに、グレン・コウはスコットランド史上もっとも悲惨な歴史的事件が発生した場所としても知られています。詳しい経緯は省きますが、17世紀の終わりに、ある一族が近親の一族の奸計により一夜にして皆殺しにされるという惨劇がこの地の静かな村で起こりました(40人以上が惨殺)。事件の背景には、名誉革命(1688年)→ジャコバイトの反乱と続く歴史の流れがありました。イングランド発で形成された歴史のねじれ現象の余波がスコットランド北部に及び、増幅・変形されたひずみから生まれた一連のストーリーのさきがけともいえる事件です。

ともかく、A82のドライブは車でスコットランド観光される方にはオススメです。

この日の宿は、フォート・ウィリアムのB&B(Glenlochy Guest House)でした。宿のロケーションや部屋の設備などはそこそこで、宿泊料も比較的高めのB&Bだったのですが(ファミリー・ルーム90ポンド)、我々の満足度は今回の旅行中で最悪の宿でした。良いB&Bであるための必要条件というのは、やはりホストのホスピタリティだと思うのですが、その点でこのB&Bの場合は疑問ありという印象でした。
実は予感めいたものがありました。ホストの人柄とか姿勢は、ブッキングの際のメールのやり取りで透けて感じられるものです。この宿の場合、極めて事務的な文章しか帰ってこなかったので、ファシリティの割に期待できないかもという予感があったため、本当は別の宿にしたかったのですが、生憎どこも条件が合わなかったためにやむなく決めたという経緯がありました。
経験上、メールのやり取りから得られる印象は概ね外れません。難しいのは、客に対してやけに媚びる感じのくだけ方をするメールの場合は、ちょっと問題のある宿であることが多くて要注意という点です。淡々としながらも暖かみのあるメールを迅速に返してくる宿は値段以上に素晴らしいホスピタリティを感じさせてくれる傾向が強いというのが、私のこれまでの経験則です。


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