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2006年03月13日(月) 第135週 2006.3.6-13 ボルグのウィンブルドン・トロフィーが競売に、引退後のボルグ

(ボルグのウィンブルドン・トロフィーが競売に)
3月はじめ頃、古いテニス・ファンにはちょっと衝撃的なニュースが流れました。ビヨン・ボルグが、ウィンブルドン大会(全英オープン)での優勝トロフィー五個とウィンブルドン決勝戦で使用した二本のラケットをロンドンで競売に出すことにした、というものです。

説明不要かもしれませんが、ボルグといえば、記録と記憶の両方に残る伝説のテニス・プレーヤーです。ウィンブルドン五連覇(1976-80)、全仏オープン六勝をはじめ、シングルス57回優勝(ATP公式プロフィールより)という成績を残した後、83年に26歳の若さで正式に引退しました(実態としては81年全米オープン決勝での敗退以降、引退同然)。
強烈なトップ・スピンをきかせた圧倒的なストローク・プレー、長髪をバンダナで束ねた独特のスタイル、ゲーム中に感情を一切見せないストイックなプレーぶり(通称“ice Borg”)などから、カリスマ的な人気を得ていたプレーヤーでした。
五連覇を達成した80年のウィンブルドン決勝戦は、あらゆる面で対照的なプレーヤーであった若きジョン・マッケンローとの4時間近くに及ぶ文字通りの死闘となり、歴史に残る名勝負としていまだに語り継がれています(何を隠そう私はこのゲームのビデオを持っています)。翌年の決勝戦が同じカードの対戦となり、昇り調子のマッケンローが接線の末に勝利をもぎ取り、この敗戦を機にボルグが引退を決意したというように「物語」がきっちり完結しているところもスーパースターならではといえましょう(なお、ボルグに関する紹介記事は、ウィンブルドンの公式ホームページ内のココが充実しています)。

ボルグのカリスマ性を最も象徴的に表わしているのは、世界中のテニス・プレーヤーにとっての聖地であるウィンブルドンにおいて五年間にわたって絶対王者として君臨し続け、その座を譲る際にも二年にわたる劇的な物語を表現してみせた点だろうと思われます。
つまり、数々の栄光の中でも、ウィンブルドンこそがボルグの輝きの源泉であり、もっとも大切な舞台だったということに異論の余地はないでしょう。

そんなボルグが、ウィンブルドンでの優勝トロフィーとマッケンローとの死闘で勝利を収めた際に使用していたドネーのウッド・ラケット(といえば当時はボルグの代名詞でした)を含めた二本のラケット(サイン入り)を売りに出すというのですから、事情を知る者にはショッキングなニュースです。
報道によると、トロフィーは五個で30万ポンド(約6千万円)、ラケットが一本あたり1万5千ポンド(約300万円)程度で売りに出されるだろうということです。ただし、ウィンブルドンの優勝トロフィーが競売にかけられるのは初めてのことらしく、専門家にも落札価格は読み難いそうです。

(競売に出すに至った理由)
なぜボルグはこれら自らの栄光の証を競売に出すに至ったのか?もっとも気になるこの点については、情報が錯綜しています。
当初、ボルグ自身のコメントとして、「経済的に困難な状況にあるから」というようなことが報道されていました。これもまた寂しいニュースですが、伝えられていた引退後のボルグの人生を考えると、説得力のある理由とも考えられます(後述)。
しかし、その後、「このような報道は心外である」というボルグ本人のコメントが伝えられました(6日付デイリー・テレグラフ紙記事)。同紙によると、競売に出す理由として、「ウィンブルドン五連覇を思い出すものなら私はいくらでも持っているのだから、これらの品を大切にしてくれる人がいるのであれば譲ったほうがいいと思った」というようなことをボルグ本人が語ったそうです。さらに「競売で得た資金はチャリティーに寄付しようと思う」とも言っているそうです。

このように、ボルグが優勝トロフィー他を競売に出すに至った真相は現時点で藪の中です。確かなのは、今年のウィンブルドン・トーナメントが始まる直前の6月21日に競売が実施される予定ということです。

(引退後のボルグ)
英国の至宝とも言えるウィンブルドンのテニス・トーナメント(2004年7月5日、参照)の歴史の中でも別格のヒーローであったボルグのスキャンダルは、当地ではとりわけショッキングなニュースとして取り上げられていた感があります。
おそらく、とくに保守的な傾向の強い英国人は、ボルグのようなタイプのテニス・プレーヤーがそもそも好きなのだろうと推測されます。であるからこそ、英国人にとってはなおさら哀しいニュースに映ることでしょう(なお、現在のATPランキング一位でウィンブルドン三連覇中のロジャー・フェデラーは、様々な意味でボルグ二世といった感があり、彼も大いに英国民に受け入れられているように思えます)。

ただし、引退後のボルグのスキャンダルはこれに始まったことではない、というのも事実です。今回、それらをおさらいするようなメディア記事が散見されました。
20歳台で忽然とシーンから姿を消し、その後は様々なスキャンダルを報じられてきたボルグは、バーン・アウト症候群の典型例としてもしばしば引き合いに出されます。現役当時の紳士然としたイメージから程遠い一連の悲惨なスキャンダルを列挙すると、二度の離婚、数々の事業失敗が残した多額の負債、コカイン吸引疑惑、自殺未遂騒動などです。
報道によると、現在は故国スウェーデンに居住し、テニス・コーチなどをしながら若手育成に務めているそうです。
今回の競売の背景として、依然として借金返済などの金策に汲々としているのではという憶測が働いているようですが、ボルグ自身は「現在は事業も軌道に乗っている」とそのような勘繰りを一蹴しています。

(「プレイ・ザ・ボルグ」)
ボルグについて縷縷述べましたが、私がテニスに関心を持ち始めたのは1980年だったことから、実はボルグの黄金時代(70年代後半)を実際に知っているわけではありません。
ただ、私がテニスをするうえで最も大きな影響を受けたレッスン書は、ビヨン・ボルグ著「プレイ・ザ・ボルグ」(講談社)でした。これは、素晴らしいレッスン書です(パート2もあるがこちらはかなり劣る)。すでに絶版になって久しいのですが、ネット古書店等で時々入手可能なようです。
ただし、私のプレー・レベルにレッスン書の素晴らしさが反映されていないのは、もちろんプレーヤーの運動神経の問題であり、本書の信頼性を損なうものではありません。悪しからず。


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