犬のおやじの日記...犬のおやじ

 

 

さてさて。 - 2003年05月26日(月)

 まだまだ日教組がイカレてて手に負えません。
「中央教育審議会の答申では
   「平和」という文字がたったの4回・・・
   「わが国」「国民」という文字が38回も!
  国家教育を強化しようとしています。」

とのことです。これを読んで違和感のない人はちょっと考えてください。
 教育とはそも、誰のための誰によるものなのか。中教審とはそもなんなのか?
中教審とは「わが国、日本の教育の指針を協議する会」です。
さらに教育とは「わが国日本の教育で国民のための教育」なのです。

 平和とは何か?教育において平和という文字は理想とする状態、目標であり、平和が主体的に何かするもではありません。

つまり「わが国」とは国政を考えた文章の中では主語として当然使われるべき(だって国民のためのなんだから)で当然使用頻度が高くなります。
教育するのは国で、国政を論じ、国民教育を考えているのだから。
これを「個人」に変えろとでもいうのでしょうか。もし個人に変えたのなら中教審はいらなくなります。個人の教育方針は個人にまかされ、国が指導するものではないから。

それに対し、教育を論じるのに「平和」は主語にはなりません。教育するの教育されるのは「平和」ではなく「国民」「わが国」だからです。

そう、日教組の先生方は日本語もうまく理解できないのです。数を数えるだけなら頭のいいサルでもできます。
日本語がうまく操れない、頭の弱い人が教師のなかにいるとぞっとします。



   


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