懊悩煩悩
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2003年01月09日(木) 部屋が腐海なまま年越ししたわけですが

 京都国立博物館でやってる大レンブラント展を見に行ってきました。前々から行きたいと思いつつ、師走の慌ただしさに取り紛れていましたがまあようやくちょっと落ち着いたことだし、レポート提出二日前も何のその、気にせず七条までぶらりと。平日の昼下がりにもかかわらず沢山の人出で、若干入場規制がかかるほど。ヒマなじじばばが多いのう、と心中で悪態つきつつ入館。ごったがえす人の中で、自分の好きなようにポジション取りしつつじっくりゆっくり二時間近くいました。まあなんというかですね、私はあつかましい人間というか面の皮が厚くなるときは30cmほど顔に乗っかる人間ですんで、気に入った絵なら何分でも絵の前に陣取ってしまうわけです。というかですね、遠慮してたら何も見られないんですよ。ギャーギャーうるさい子供とか、知ったかの薄っぺらい知識をご披露してらっさるご高齢の方々とか、何しに来てんだかわからんよーなカップルとか、そういうのに気を取られてたら折角の芸術作品が不味くなりますものね。ちょっと今意地悪な(というか底意地の悪い)書き方してますが事実そうですしね。これはもう美術展における宿命というか毎度のことなんで半分諦め入ってますが。

 そんなことはさておき、作品ですが40数点の展示ということで、やや物足りない印象を受けました。あと、レンブラントは肖像画の依頼の多い画家なので展示されている画も肖像画がかなりのパーセンテージを占めていて、正直飽きてくるという…特に自分は風景画、もしくは風景+人物画が好きなもので余計に見ててダレるものがありました。とはいえ、顔の陰影の表現の素晴らしさは例えようもなく、じっと見入って目が離せませんでした。顔だけでなく、衣服の表現も非常に好みでした。柔らかな巻き毛のふんわりとしたさま、ほんのりと赤く染まった頬の絶妙なリアルさ…肖像画以外では、宗教画がちらほらと。レンブラントはあまり熱心な信者ではなかったようですがそれでも秀逸な宗教画を遺しており、「目を潰されるサムソン」は大きいキャンバスに余すことなくその一場面を切り取った絵が描かれていました。その潰されている目の痛ましさといったらありません。後ろで勝ち誇ったように切り取ったサムソンの髪を掴んで走り去ろうとするデリラ、サムソンを羽交い締めにする兵士、押さえつける兵士、鎖で手首を縛る兵士、ナイフで目を潰す兵士、そのどれもが存在感を持ってこちらに訴えかけてきます。他には「ヨアン・デイマン博士の解剖学講義」の解剖されている人物の剥き出しの脳が印象的でした。この絵は火事で大部分が消失してしまったというなんとも惜しい作品で、素描から復元したCG絵も横に添えられていて、全体像が見られないのが本当に惜しい作品。あとは「宦官の洗礼」の洗礼を受ける宦官の身に纏ったものの質感がツボでした。そして最後に飾ってあり、今回の大レンブラント展のポスターにもなっている「ユノー」。美しさと優雅さと力強さを持った女神Junoの絵で、おねいちゃんの絵、しかも女神とかそういうのに弱い私としてはもうノックアウトなわけですよ。ふくよかな身体に厳かさと雅さをたたえた眼差し、右手には瀟洒な杖を、左手はゆったりと握られていて、端には孔雀。特に胸のあたりのボリューム感がたまりませんでした、などと書くとなんか変態みたいだのう。

 めぼしいポストカードは買いましたがうっかり図録を買い忘れた…京博に連絡したら通販も出来るようなのでどうしようか迷い中。ネットをさらってると図録はまあまあ良い感じのようなので(図録にはほとんど目を通さず帰ってきてしまったアホ)買ったほうがいいのかしら。うーむ。


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