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「暗幕」日記

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2002年03月02日(土) 本:朴慶南『命さえ忘れなきゃ』


朴慶南『命さえ忘れなきゃ』岩波書店,1997 bk1

神様がつけてくれた名前

言葉も文字も持たない人間は、悪いことをすることで自分を表現するしかないんです。人を刺すことも怖くなかったし、どんな悪いことだってできた。世の中全部を恨んでいました。言葉と文字がないということは、空気を奪われているということと同じことなんですよ」

旧満州から引き揚げてきた難民孤児だったのが5歳くらいのとき、だから文字が書けない。話そうとすると決まって殴られるため、萎縮して満足に話もできない。想像できるだろうか?
言葉は力だ。幸いにもまだ、私の言葉は息の根を止められてはいない。さあ、これで何を話そうか。言えない人を一層苦しめる言葉になっていなければ良いが。

笑い

「お姉ちゃん、笑えないんだよ。笑うというのは、すごく体力を使っちゃうから、笑うと倒れて死んじゃうんだもの」

カンボジアからタイの難民キャンプを経て日本で再開した弟の言葉。これを聞いた姉の方は思わず大笑いをしてしまったそうだ。真面目に理由を答えた弟にしてみれば笑い事ではないだろうが。

親戚によく笑う人がいる。知り合いにいつも微笑んでいる人がいる。私は彼ら彼女らに会うのが好きだ。こちらにもその笑いが移り、少し気持ちが軽くなる。

よく笑う人がいる。いつも微笑んでいる人がいる。私はどちらでもない。

笑うことも泣くこともできなかった時期がある。泣けなくなったのが先だった。それでも、笑いたくもない場面で私はまだ笑っていた。「ここは笑うべき場面だ」と認識したからだ。

そのときのことを抗議したとき言われた、「だって、あなただって笑っていたじゃない」怒りが火のように燃え上がったのを感じた。その矛先は目の前の人から自分自身に向かった。ああ、他人は、外に見えているものしか見ていない。

「笑い」が体力を使うのは本当だ。今、私はおかしいと思う前に笑っている健康を思う。

実際、難民として日本へ来たカンボジア人から、集団労働をさせられていたとき笑うことも泣くことも禁止されていたという話を聞いたことがある。笑うということは過去の生活を懐かしんでいることであり、泣くというのは現在の生活を悲しんでいるとされたからだ。ひたすら、無表情でいるしかなかった。

現実生活では自分の表情さえ自由にならない状況がある。表情は感情の表出であるが、権力者が他人の感情さえ強制しようとする性格であった場合には。たとえば、「その顔が生意気だ」というような怒号とともに殴られたことがないだろうか。
笑いは力だ。泣くのも塞き止められた感情を放出させる、生きるためには必要な機能だ。笑うことも泣くこともできる状態にありたいが、強制もされたくない。


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【夢の内容】
自習時間にかつての担任Aが私の机の上にプリントを置いて行く。放課後会議室に行って、研究チームに参加することになった。
会議室の畳部屋には目的を異にする2チームが同じ名前で存在しているらしい。初対面のBは、Aからもらったプリント内容と違う目的を語る。「おかしいですね、私もC(Bと私の共通の指導教官の名)に呼ばれてここに来ているのですが。私が聞いたのは観測データの解析ソフト開発でした。一方あなたの目的はそれを使った観測にあるようですね。ということは我々の方が実用レベルまで進まない限りあなたはこのテーマでは研究できないし、場合によっては代替観測スケジュールを組む必要がありそうですが違いますか?」と反論する。



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