女の世紀を旅する
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2002年09月02日(月) 北朝鮮の悲劇(8)  粛清された日本人妻たち 


北朝鮮の悲劇(8) 粛清された日本人妻たち

                       2002.9.2







●小泉首相の訪朝,それでも拉致問題は解決しない

突然のことである。今月下旬,小泉首相が突如,訪朝することとなった。米国も驚いたのだろう,ワシントンポストやニューヨークタイムズもそのことを一面トップで大きく報じている。首相は,日本人拉致事件とミサイル問題を直接,金正日(キムジョンイル)と会って談判するという。国交を結んでいない敵国に単身乗り込んでいくのだから,小泉首相としても熟慮のすえの一大決心であったにちがいない。



米国のイラク攻撃が切迫しており,いずれイラクとの戦争が片付けば米国の次の攻撃の対象は北朝鮮である。金正日としても日本との懸案事項を解決し,米国との戦争を避けることが国家としての死活問題となっている。今回の小泉首相の訪朝も,米国に追い詰められている北朝鮮の側からの要請で決まったと考えられる。



話し合いは平行線に終わるのが目に見えているが,それにもかかわらず小泉首相が「政治生命を賭けて」で訪朝するというのだから,何かしらの見返りがあるのかも知れないが,そういう期待は幻想にすぎない。そもそも,拉致された日本人の中にはすでに殺された人もおり,また国際世論上の体面からも北朝鮮当局は絶対に日本人を拉致した事実を認めないだろう。首相の訪朝は空振りに終わる可能性が高いといわざるをえない。しかし,日朝首脳同士の会談は希有であり,歴史に足跡を残すだろう。




●元工作員の証言

ところで,9月5日号の「週刊新潮」にジャーナリストの櫻井よしこ氏が注目すべきリポートを寄稿しているので,紹介しておきたい。日朝間の懸案事項は拉致問題やミサイル問題だけではない。北朝鮮に渡った日本人妻たちの安否に関する問題もあることを櫻井よしこ氏は戦慄すべき事実を列挙して告発している。以下は,その記事の抜粋である。



1959年末から始まった帰国事業(84年に終了するまでに9万8000人が帰国)によって,「地上の楽園」のキャッチフレーズを信じて北朝鮮に渡った「帰胞(キポ)」の中には在日朝鮮人と結婚した多くの日本人妻や,その子供たちも含まれていた。(帰胞とは日本生まれの朝鮮人のこと)


彼らの惨状について衝撃的な情報をもたらした元工作員がいる。その人物は青山健熙(仮名.60代)という帰胞である。彼は1960年に北朝鮮に帰国した後,日本に残った身内の金銭的支援で大学に進学し,技術者として実績を積んだ。90年代に貿易会社副社長などの肩書で海外に赴任し,ハイテク技術の盗用,転売によって外貨獲得の役割をになった。90年代半ばに工作員の訓練を受けたが,周辺の人物が逮捕され,身の危険を感じとり,家族を連れて中国に脱出した。北京の日本大使館に接触し,日本への入国ビザを求めたが,日本大使館は冷淡であった。そこで北朝鮮の情報提供を申し出ると,態度を一変させたという。


「98年11月25日から99年2月まで,都合5回,日本大使館のM氏に情報を流しました。北のミサイル基地,朝鮮労働党の対外情報調査部,核開発施設,日本に展開する北朝鮮と中国の情報部員の5項目についてです」
外務省もその情報の価値を認め,99年春,氏を日本に入国させたが,いまだ日本国籍が与えられていないという。




●日本人妻たちの粛清の原因となった「里帰り嘆願署名運動」

彼の語った話しは驚くべき内容だった。日本人妻たちの悲劇的な推移についてである。彼女らの多くは,北朝鮮への帰国事業が始まって日も浅い
1962年夏には早くも粛清されたという。きっかけは,「里帰り嘆願署名運動」だった。


里帰りの申請は当初,複数の日本人妻たちが各々の判断で当局に出したが,すべて黙殺されたため,団体で交渉することになったのだという。が,団体交渉の先頭に立った日本人妻複数が,逮捕状も無しに連行され,失踪した。
「それでも日本人たちは状況を正確に把握できなかったと思いますよ。里帰りの申請だけで処刑されたり,死ぬまで収容所に幽閉されたりするなど,日本で生まれ育った人間には想像できませんから」
1960年に帰国事業で祖国に渡った青山氏が説明した。


日本人妻らは表立っての署名活動をやめ,密かに署名を集め続けた。61年夏から62年夏まで,山奥や辺鄙(へんぴ)な地域を除いて,彼女らは密かに声を掛け合った。多くの署名が集まれば当局も許可せざるをえないと,日本の価値観で考えたというのだ。


「私も北朝鮮第2の都市の咸興市から平壌へ,そうとは知らず署名簿を運ばされました。2000名分以上が集まったと聞いた記憶があります。」


北朝鮮に渡った日本人妻の内,日本出国時に日本国籍だった1800人を含めて3000人から4000人前後の日本人妻たちがいたと考えられている。とすれば,2000人分の署名は,ざっと見て,約半数の日本人女性が署名したことになる。


「それだけ帰りたかったんです,日本へ。大学入学を許されたとはいえ,在日の私でさえも北朝鮮に渡った時,騙されたと感じたのです。日本人妻なら尚更です。彼女たちは民族的に差別され,冷遇されましたからね。」


青山氏の説明では,署名運動の先頭に立ったのが,「柴田コウゾウ」という男性と,「永田夫人」だった。柴田氏は朝鮮人妻を持つ日本人の夫,永田夫人は「永田紘次郎(朝鮮名 金栄吉)」氏の日本人の妻だという。永田紘二郎は,日本では藤原歌劇団の一員だった。彼はレコードも吹き込んでおり,帰国後は歌手として,また平壌音楽大学の教授として活躍していた。


まとまった署名を彼らは当局に渡した。署名は受理されたが,やがて多くの人物が粛清されていった。永田夫妻は活躍の場を奪われたが,余りに著名人だったため,極刑はまぬがれた。しかし,柴田氏は連行されたきり,消息を絶った。署名した多くの人が収容所に入れられたが,収容所に入れられたら死ぬまで出られないという。


元工作員の青山氏は長野県出身の郭泰永(カクテヨン)氏一家を知っていたが,郭家の全員が粛清されたと語る。
「郭さんは,第一次帰国の副団長だった人で,59年12月14日に帰国しました。日本では朝鮮総聯の長野県松本支部長を務めた人物で,夫人は日本人でした。もちろん,彼女は署名したのです。で,夫人は家族とは別に収容所に入れられ,家族は食べ物もないような山奥に追放されたのです。彼らのその後の消息を聞いた者はおりません。」

里帰り署名運動に参加した日本人妻の多くには悲惨な末期が待っていたという。署名した人々は,反革命行為と国家侮辱罪として断罪されたわけである。




●帰国者と日本人妻4000名余りが命を落とした大粛清

帰国者と日本人妻にとっての恐怖の日々は,理不尽な教育と背中合わせだったという。
「署名運動の後,帰国者のうち,学生・老人・乳飲み子を抱えた母親を除いて,1カ月間の学習合宿をさせられたのです。朝鮮史,金日成(キムイルソン)の偉大性,日帝の侵略などを朝から晩まで死ぬほど勉強させられた。当局は洗脳をめざしていたのです。」


青山氏は盗聴器を始めとする種々の技術を開発し,そのために国家保衛部(思想犯,スパイなどを扱う秘密警察)とのパイプができたという。
「特にひどかったのは,1972年と73年です。この2年間に全土を吹き荒れた大粛清の嵐の中で,帰国者と日本人妻4000名余りが収容所に入れられ,命を落としたとの情報を保衛部から得たのです」



朝鮮半島問題に詳しい現代コリア研究所所長の佐藤勝己氏も次のように語っている。
「72年から73年にかけて,思想犯への大粛清があったのは確かです。はっきりとした数字は日本では確認できません。4000名という数字は信じがたいようでもありますが,全国で万単位の人間が逮捕されたと見られてはいます」


青山氏は日本人妻たちの死を次のように語った。

「帰国者には資本主義の堕落した精神が染み込んでいると見なされました。その上,日本人妻には民族的な差別が加わりました。日本人妻は誰よりも生き残りの力が弱く,病死を含めて多くの女性が死んでいきました。」


この青山氏の観察は,子供の時に政治犯収容所に家族と共に収容され,後に脱出して『北朝鮮脱出・上 地獄の政治犯収容所』(文芸春秋)を書いた姜哲換(カンチョルファン)氏によっても裏付けられている。姜氏一家も「帰胞」であったが,彼らは収容所で短期間に命を落としていく日本人妻の様子を見知っていた。


青山氏によると,日本出国時に日本国籍だった1800名の日本人妻の内,21世紀の今も命を長らえているのは,200名前後という厳しい見方を示した。




●北朝鮮赤十字社の正体

「今年5月,突然外務省北東アジア課のM氏から連絡が入りました。幾つかの情報が必要だというのです」
青山氏が提供した情報の中には,北朝鮮赤十字社の実態がある。北朝鮮赤十字社は,国際社会が考えるような人道的な民間組織ではなく,統一前線部所管の一つだと,氏は報告している。この機関は,金容淳秘書(書記)が長を務める。テロの直接的任務を負っていないが,海外の朝鮮族,在外主要人物の包摂(抱き込み),韓国統合の水面下の交渉などが主たる役割で,自民党のドンであった故・金丸信の取り込みを担当したのも統一前線部だという。


赤十字社は対日工作の一機関であり,拉致日本人の調査とは無関係の部署とも指摘している。そうした情報を得ながらも,8月18,19日の平壌(ピョンヤン)での日朝赤十字会談について竹内行夫事務次官は,北朝鮮赤十字社が拉致問題の調査を強化したと述べたことを「評価をしたい」と語った。誰が見ても評価すべき内容の無かった今回の会談を評価するとコメントしたのは茶番ではないか。(※ 外務省はそうした事実を知りつつも,駆け引きとしてパフォーマンスを演じた可能性もあるのでないか)


安易な妥協や譲歩より,日本の国家意志を明確にした上で,厳しい交渉を展開しなくてはならない。それが拉致された日本人,里帰りも出来ない妻たちを救出するもっとも早い道である。


日本政府は,98年以降,朝銀への資金援助と共に,2000年には50万トンのコメ支援に踏み切った。しかし,今年3月22日,ソウルでの金大中(キムデジュン)大統領との首脳会談で,小泉首相がきっぱりと,「拉致問題棚上げでのコメ支援は非常に厳しい」と主張した。すると,その日の夜,北朝鮮側は「行方不明者の調査再開」を発表したのだ。日本側の決意が揺るがないと見た時に,北朝鮮は譲歩するのである。


カルメンチャキ |MAIL

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