稀春の日記
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2004年04月20日(火) いじめられっこ的身体/思考

 某機関に電話したら最後に、「就職活動頑張ってください。あなたなら大丈夫ですよ。面接では元気よく」とかなんとか、そんな事を言われた(^^;
 「元気良く」ってことは、この電話は元気なかったということなのかなぁ…。うーむ。たしかに思い返してみると、言葉につっかえたりしていて、自信なさげだったのかもしれない。

 このことから気が付いた。どうも私は、他者と接するときに、相手の「力」を勝手に想像してしまって、萎縮したような態度をとってしまっていたのではないか、と。
 ここでいう、「「力」を想像してしまう」、というのはちょっと抽象的な言い方だけど、イメージとしては、「こちらに対してなにか負の効果を与えるような、物理的な暴力や言葉の暴力などの行使があるのではないか、と、考えてしまう」ということ。もう少し砕いて言うなら、「いやなこと/不利なことをされるんじゃないか、と考えてしまう」といったところ。それから、「萎縮したような態度」というのは、そんな風に「いやなこと/不利なことをされるんじゃないか」と考えてしまって、積極的になれない・自信を持って発言や行動ができない・他者に接するときにひたすら受け身になってしまう等々…という状態のこと。

 それでどうも、考えてみると、この、相手を(勝手に)恐れる、という習慣は、イジメられてずーっと萎縮していたところから来ているんじゃないかと思う。実際、私はいじめられっこ――いじめられる→自信がなくなる→またいじめられる…という悪循環――の時代が結構長かった。小学校の低学年くらいから、高校が終わるまでくらいはそんな感じだったと言える。大学に入ってからは「いじめ」を感じることはなかったけど、でも、上に書いたような「萎縮したいじめられっこ的身体/思考」のパターンのようなものは染みついてしまっていたと思う。そして、今になってやっと言葉になった、でも変えていくのはまだこれからだ、という感じ。

 何故、今の時期にこんなことを考えたのか? 色々な理由が輻輳してると思うから一概には言えないんだけど、外的な要因として大きかったのは、いわゆる「イラク日本人三人人質事件」(以下、イラク事件)のニュースだったように思う。また、今の自分の状況なんかの影響もあると思う。

 イラク事件のことはあんまり詳しく書くとややこしいんだけど…まぁ、ちょっと書いておこう。あの事件、私ははじめのうちは、「さっさと自衛隊撤退させた方が良い」と思っていて、「脅しに屈してはダメだから撤退させない」というのが理解できなかった。だけど、途中からハタと気が付いて、後者の考え方(脅しに屈しない)も理解できるようになった。…というのは、もしも犯人の脅しに屈して要求をのんだら、「脅せば要求が通る」ということになってしまう。これは不合理だ。だって、相手の持つ暴力によって、相手の言いなりになってしまう。こちらは下に敷かれて、不正・不合理な要求であっても、その要求を飲まされる――支配(あるいはコントロール)される――ことになってしまうのだから。(ただし、これって結構難しい。このケースは人質が解放されたからまだ良かったけど。現実として葛藤は生じざるを得ないよね。家族が「撤退させて」って主張するのも当然の反応だと思うし…。ただ、あの状況での「政府の対応」としては、苦しいけど「撤退させない」と言わざるを得ないと思う。…あー、それと、念のため書いておくと、ここで言いたいのは、自衛隊派遣に賛成か反対かという問題では全くない(!)、ので、誤解のないようにご注意を。どっちかというと私は、他の方法もあった筈なのに、強引に独走してイラクを攻撃してしまった今の某A国にあそこまで頑張って協力するのはどうもイマイチ納得がいかないと思っていたりするので。)

 それから、もう一つ、今の自分の状況に危機感を感じていた、ということもある。その影響なのか、夢に昔のいじめっこが出てきて、そいつが椅子を振り回して何かを主張して来た。その夢が覚めた後、「こういう暴力に屈してはいけない」と思ったんだよね。もちろん、そう考えたのは、上のイラク事件で気付いたことの影響もあったと思う。

 …という訳で、上記のように色々思うところがあって、その上で、電話の時に「元気良く」と言われたことから、「どうも自分は相手の力を勝手に想定して萎縮していたのではないか」ということに気付いた(それが言葉になった)、のだと思う。

 なにやらとりとめもなく書いてしまったんだけど、まとめ的なことを書いておく(メモ帳から引用)↓
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 他者と接するとき、必要以上に萎縮し、相手の「力」の行使を恐れてしまう。たとえ相手にそんな気が全くなくても、心が「相手の「力」に屈服した状態」に自動的になってしまう。またそのため、相手の言うこと等に必要以上に合わせてしまったり、自信がない感じになってしまったりする。
 今後は、こういった、心身に染みついてしまったものを、徐々に取り除いて行きたい。相手の「力」を勝手に想定し、無意識のうちに(しかも勝手に)「自ら相手の奴隷になる」ような行為をとらないように、したい。
 相手を恐れて、心中おびえながら接することと、相手に敬意を払って接するということは、全く、全く、別のこと。必要なのは「他者と接する事への恐怖」ではなくて、「接する他者への敬意」の筈。
 自分の力を信じよう。そして、強さを身につけよう。しかも、柔軟なつよさ、しなやかなつよさ、を。
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(オフライン日記からWeb日記用に書き直し:2004.07.10)


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