稀春の日記
DiaryINDEXpastwill


2004年01月26日(月) 向き合う

 最近、お風呂に入ったときに思いついたことをメモするため、メモ帳とペンをビニール袋に入れて持ち込んでいます。
 私は、お風呂に入ると、ただひたすらボケーッととりとめもなく色々考えてしまうことが多いです。まれに、さっきまで顔を洗っていたのか、シャンプーしたのか、なんていうことを忘れてしまうこともあるくらいですが……それはともかく(^^;……そんな風に考えるともなしに考えている中で、「お、これは良いアイディアだ」という(思える)ものも時々出てきます(「思える」だけで、実際には使えなかった(--;なんて方が多いですが)。でも、メモしておかないと、忘れてしまい、後で「なんだっけー…もったいない(>_<)」と、なってしまうのです。その対策の為に、わざわざ、お風呂用メモ帳、を作ったわけです。

 で、前置きが長いですが、今回は、そのメモからです。もっともこれは、「良いアイディア」というより、「考えたこと」、ですね。未整理で繰り返しも多いように思いますが、おおよそそのままになるように写します(手直しは少ししてありますが)。
 なんとなく、色々なことから逃げてしまったり、後回しにしてしまったり…という風になってしまうのは何故なのか、思いつくことを(若干掘り下げて)並べてみました(というつもりです)。
*別にこれが原因の全てであるとは思っていませんが、一つの原因ではあるように思います。

------------------------------
・何故、後回しにしてしまうのか?
・何故、逃げてしまうのか?

・後回しにしても/逃げても、「とりあえず」大きな問題はないことだから。
・「やる気」が出ないから。

…たしかに、選択肢は色々だけど、何故、「より良くなる」と予想できる方を取らないのか?
…それに、本当は問題に向かい合っているときの方が、いきいきできるのに、なぜ?(*この「いきいき」というのは、プラス・マイナス、とか、良い・悪い、とかではなくて、心が「動いている」という意味での「いきいき」)。

・何かトラウマがある
・問題に向かい合いたくない
 →ヒネクレている
 →成功したくない
 →問題に向き合うパワーがない
・「何か」への反抗が無意識にあって、それが出てしまっている。
 →社会、家族等、環境(あるいは自分でない誰か)への反抗。
 →自分の責任にしていない。「まわりが悪い」ということが無意識化して、行動に出てしまっている。
 →「何かをしない」ということは他の何かへの反抗だ、私が「何かをしない」のはまわり(私ではない誰か)のせいだ、…という自分の責任もへったくれもない、半無意識的な考え。
・そのようなことが轍のように、習慣化・パターン化してしまっているのではないか。
---
…これらとは別に、色々あり過ぎて、迷って、結局何もできない、という問題もありそう。…ただこれは、選択・決定の問題でもある。感覚的に選ぶことも、そのことへの反省的思考も必要。
---
…これらの問題を区別・クリアした上で、取捨選択があるべき。
---
・「私」の問題、として、直面化すべき。
------------------------------

 なんかごたごたしていて、しかも抽象的で、これだけだとよく分かりませんね(^^;
 まぁ、換言すると、「何かに対して、"私"の問題として、自分に対して責任を持って、向かい合う姿勢ができてない」、とでもなるかと思います…が、どうにも、言葉にするのは難しいですね。ある言葉が出てくる前に――つまり、その言葉の背景に――色々な考えの鉱脈がある訳で、その辺を上手く言葉にするのが難しいなぁ、と思います。


稀春 |HomePage