ナギツヨライフ

2006年04月05日(水) 父帰る・屋上の狂人。(上演内容について触れています)

父帰る・屋上の狂人の3日20時の回を観てきました。
以下の文は、上演内容について触れています。
だらだら書いたわりには、思った事がまとまらなくて父帰るについてや役者さん達について書けなかったという文才のなさ…。またまとまったら、しつこく書こうと思います。
そんなぐだぐだな文章ですがお時間がありましたらどうぞ。




明るいロビーをぬけ客席へはいると、途中まで幕の下りた暗いステージが見えました。そのうっすらとした闇の中にちゃぶ台やら障子やらがあるのがわかり、急に緊張して指先が冷たくなってしまいました。
始まると上演時間の1時間はあっという間で、泣いたり笑ったりしながら観ていたら、終わる頃には指先まですっかり温かくなっていました。
観る前は物足りないのではないかと思っていた2本立てですが、ふたつの演目のバランスが良く、心地の良い密度の内容で1時間でも充分満足しました。過不足の無い良いお芝居だったと思います。
上演前は小さいと感じたステージでしたが、始まって照明が照らし出すと、父帰るでは奥行き、屋根の上の狂人では高さを感じさせる舞台装置になっていて驚きました。ただ、前方の列の上手側の席で舞台に近かったためか、屋根の上で義太郎が歩き回るたび下の支柱ごと揺れているのがわかり、少し気になりました。
ちいさな劇場のためか役者さんのたてる音がよく響き、足音の大きさや速さ、戸を閉める音からも心情が伝わってきました。
セットと役者が光あるいは闇に包まれると目の前で実際に生身の人間が動いてるのに現実感がなく、舞台の上が異空間の様に感じました。
そのせいか、屋根の上の狂人の際、義太郎が屋根からこちらの方向を向いた時に、この世のひとではないようで少し怖いと思いました。
義太郎が屋根の上で、片膝を立てた上に乗せた両手握りこぶしが白くて小さかったのが印象的でした。(その手に後ろから照明があたると光にとけてきれいだった)
義太郎があんまりに幸せそうにどこかを指差して笑うので、ついその方向を見てしまいそうになった。その指差すものを見ることができれば皆幸せに生きることができるのかも知れないと思っていたので、最後の末次郎の台詞に穏やかな気持ちで劇場を出ました。
最寄の駅に着きふと顔を上げたら、下弦の月に桜がかかっていて、あまりに出来すぎた美しさに、まだ舞台を見続けている気分になり夢心地のまま家に着きました。
そして、その翌日の夜、私が見たのは滑り台にへばりつく赤いヒトデの様な姿とヘルメットを夏休み中のアホ小学生のごとく麦わら帽子感覚でかぶり、ぺたんと座り込んで巨大ジェンガ相手に格闘する姿だったわけなんですよ。
舞台での声やら姿に、ここ数年見続けてきたはずのクサナギツヨシを忘れてしまいそうだったので、間を空けずぷっすまでテレビバージョンのツヨシを再確認することが出来て良かったです。(「へたれ対決」っていうのがまた良かった)


 < カガヤカシイ過去ヘ  モクジ  アカルイ未来ヘ>


rinne [MAIL]

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