久しぶりに、心の引っかかりにハッキリ気付けたので 意識の海に潜ってみました。
自分が心から望んでいたことなのにもかかわらず いざそれに手を伸ばせるときになって 念のため、とか、石橋は叩いてから…なんていい訳じみた言葉で 反感、疑念、恐怖、あきらめなんかが足を引っ張り出して 手を伸ばす前の状態に引き戻そうとする力。 これは一体何なんだ!?
いい訳の数々を洗い出すと ・思うような成果が出ないかも ・まったく楽しめないかも ・お金や時間を損するかも ・自分の体力、精神力以上のことを要求されるかも まとめると、不安、という1つのカタマリになった。
何が不安なのか? ・それに対して、楽しい未来を信じきれないから 信じ切れないって、そもそも楽しい未来を信じたから 心から望んだんじゃないの?そこから始まったんじゃないの? 言い訳の数々って、言い換えると 「〜かも」とは逆であるようにして欲しい。という事。 つまり、不安は、欲の裏側なのだ。
欲の裏側には、それを得られないで苦しんでいる自分が潜んでいる。 苦しいから、その欲が満ち足りている人よりも余計に求める。 得られないものを憎むことで、自分の心の「居場所」を 自分の中に確保してさえいる。これは「呪い」のひとつだと思う。
ここでいう「呪い」は、誰かに呪いをかけるとかいうアレじゃなくて 苦痛のループのようなもの。 例えば、愛情。 虐待を受けた子どもが、自分は虐待されていたと判っても すぐに自虐をやめないし、仕方の無いこととして抵抗の意思を失う。 親と自分の関係に、強い罪の意識と恐怖感、被支配感を抱く。 深い愛の絆で結ばれている家庭を正しい関係であると理解しながらも そういう家庭を羨み、憎んでいる。 いざ、自分が誰かとの深い愛の絆に触れたとき、 自分にはふさわしくないと決め付け、その世界に入るのを拒絶してしまう。 抜け出そうとすると、絡み付いて引き戻しにくる。
「呪い」の逆は「祝福」という言葉が当てはまると思う。 家族と愛情の絆で結ばれている子どもは 親と自分の繋がり方が正しいと信じているし、親から与えられる 愛情を感じ取る。自分もわが子とそのような絆で結ばれることを 希望し、そうなれることを信じている。 親と自分の関係に深い感謝と喜びの念を抱く。 誰かとの深い愛の絆に触れたとき、素直に受け入れ、感謝する。 もう十分とも思うが、次々と舞い込んでくる。
こういうのは、お金や成功に関してもいえることだと思う。 「呪い」は不幸のループ、「祝福」は幸福のループに繋がり それぞれの力を、威力、範囲共に増強させる。 「呪い」を断ち切るには、抜け出すしかない。 確かに自分には何の落ち度も無かった筈なのに 何かの被害者となる、かわいそうな時もあっただろう。 でも被害を受けたその瞬間から、長い時を離れても残っている 執着や憎しみ、悲しみは、実は自分のエゴを気持ちよくさせる為の 麻薬だったりする。エゴは、自分の心の成長を止める事がだいすきだ。 エゴを満たしても、成長の先にある「もっといいこと」は訪れない。
欲の裏に潜む呪い。呪いに張り付くエゴから解放されないと 自分を信じきることは出来ない。 …が、心から望んだ時は、自分を信じていたわけだから 自分は呪いを吹き飛ばし、エゴは解放していたわけだ。 いつでも、その状態を維持できるようになれれば、いいんだなぁ…
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