更新とつぶやき
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2004年10月27日(水) 計算がおかしかねーか?

たとえばそこに100人いたとして。

仮に一人に不幸が訪れたとする。
じゃあ、その100人の中で不幸が発生する確率は1パーセント、という計算になる。なるけれど、それでいいのか。

実は大事なのは不幸の発生が全体に対して何パーセントか、ということではなく。
自分自身に対して、その不幸が訪れるか訪れないか、という、二択でしかないのではないのか。
自分以外の99人がどうなろうが、それは全く自分には無関係で、肝心なのは自分に何パーセントの危険があるのか。そしてその危険を、自分が回避できる可能性は何パーセントか。

考えるべきなのはそのパーセンテージであって、他者との比較においてのパーセンテージではない。この場合他者は一切関係ない。

大丈夫、と言い切るためには、大丈夫じゃないあらゆるパターンを考えて、その対処法があるかどうか、そしてどれだけの確立でそれが達成されるか、対処できるだけの能力が自分にあるかどうかを考えて、その上で、よっしゃ大丈夫な確立の方が高い、と結論を出す必要がある。
間違っても、危険をろくすっぽ推測しないで大丈夫大丈夫、などといってはいけない。それは愚かでしかない。そして、大迷惑。

自己責任って、この作業ができるかできないかではないのか。
自分の能力、運、を過大評価せずに、冷静に見極める能力。

あったのかな?

自業自得、という言葉が浮かびます、もちろんです。
でもね、自分と同じ国の人間が、もうすぐ首を刎ねられるかもしれないという事実は、やはり、やりきれないです。自分の首のあたりに不必要な力が入っているような。落ち着かない。これをいうのは不本意だけれど、やっぱり助かって欲しい。

確かに無関係な民間人を誘拐して殺害、というのは許されない行為ですが、でも。
この世で一番ひどいことが起こるのが戦争である、という大前提を肝に銘じ、そしてその危険が、かなり高い確率で自分にも降りかかるということをきちんと理解していたのなら、今回の事件は起こらなかったんじゃないかと思います。

戦争やテロで常識や道理や泣き落としが通用すると思ったら大間違いだ。
もういいかげん、認めましょうよ。なんとかなるって、とんでもないことになってるじゃねえかっつのな。どうして「もしも、自分が、」を考えられないかな・・・
あらゆることを自分を勘定に「入れ」て生きてくれ。頼むから。

そんな大人もいれば。

土砂に潰された車の中で、必死で四日間生き延びた二歳児もいる。
奇跡だ、本当に奇跡。
ダメだと思った。だけど、良くぞ生きていてくれた。
お母さんは残念だったけれど・・・お姉ちゃんも絶望的かもしれないけれど・・・
でもすごい!!人って、こういうことがあるから生きていけるんだなあと思った。

これからは、精神的な傷のケアが治療の最重点項目になるんですよね。トラウマがひどいと思うけれど、なんとか乗り越えて欲しい。お父さんも辛いだろうけれど、がんばれ。


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