観能雑感
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国立能楽堂定例公演 PM6:30〜
金春流のみ現行曲の『初雪』が観たくてチケット購入。某巨大掲示板の名作AAがずっと記憶に残っているため。 展示室では狂言の面・装束が見られた。江戸時代のものがほとんどで、繊細な模様と色を楽しんだ。 見所は相変わらず補助席が出る盛況ぶりだが、若干空席もあった。
狂言 『空腕』(和泉流) シテ 野村 萬 アド 野村 万禄
本当は人一倍怖がりなのに普段は強がっている太郎冠者。あたりが暗くなってきたとたんに急に弱気になる。萬師が暗くなったと言って辺りを見回すと急速に舞台は闇に包まれた。言葉と所作の力。気絶したのを死んだと信じ込んでいて、冥途にも賭場があると言う下りはとにかくおかしい。事情をすべて知っている主の前で得意気に武勇譚を語る姿は無邪気そのもので微笑ましかった。萬師の芸力を堪能できた。
能 『初雪』 シテ 高橋 汎 ツレ 本田 芳樹、金春 憲和、中村 昌弘 アイ 野村 扇丞 笛 一噌 隆之(噌) 小鼓 幸 信吾(幸) 大鼓 内田 輝幸(葛) 太鼓 金春 惣右衛門(春) 地頭 金春 安明
鶏を供養するという、図らずも時節にぴったりの曲。 出雲大社の神主の姫君が可愛がっていた鶏が死んでしまい、深く悲しんだ姫が供養をすると鶏の霊が現われ念仏に感謝し今は来世で何の苦しみもなく暮らしている様を見せ、また何処ともなく飛んでいくという、あっさりした内容の小品。現在では前シテが姫君、後シテが鶏の初雪だが、かつては前シテはそのまま舞台に残り初雪は子方が演じたという可能性もあるとのこと。子供の可愛らしさと清らかな霊は役柄として合うし、当時の人がそれを楽しんだというのは納得がいく。 ところで、鶏は名作『動物のお医者さん』にも描かれているとおり、わりとキョーボーだ。家にもかつてチャボがいたのだが、やはり気性が激しかった。小屋の戸を開けて庭に放すとき威嚇してくるので素早く飛びのかねばならなかったが、兄弟二羽いっしょに手のひらに載せられるくらいの時から大きくなったので、やはり可愛かった。庭を歩き回って虫や草を食べていた姿を思い出す。もう随分前のことだ。 狂言開口で侍女により姫君が可愛がっている鶏(白く美しい姿から初雪と命名)が死んでいることが明らかになる。その知らせを受けてシテ登場。紅入唐織に小面。ゆったりとした謡だが、他流と比べ特殊だとは思わなかった。本舞台に入って嘆くところ、「消えぬることの悲しさよ」が胸に迫ってくる。地謡のクセが心地よく響いた。弔いの準備をするよう侍女に言い置いてシテ中入り。 弔いに参加する上臈としてツレ3名登場。背の高い順になっていたのが面白かった。出端で後シテ登場。曲の内容によってこの出端は全く異なった聴こえ方をする。今日はどこか晴れがましさを感じさせ、成仏した喜びを予感させるに相応しかった。狩衣、大口ともに白く、黒垂、天冠に鶏の立て物、面は増か。清らかで美しい扮装に、この初雪は本当にきれいな鶏だったのだなぁと思う。女性の扮装に立て物も雌鶏で初雪は女の子なのだと今更ながら認識。いや、雄鶏の可能性も捨てきれないと思ったもので。 太鼓入り中ノ舞は美しく、幸福感も漂っていた。共に暮らした動物たちが死後も幸せでいてもらいたいと願う飼い主の気持ちを汲み取っていて、温かい気持ちになった。 初雪が仏の巧力に導かれ、飛び去って行き終曲。 短いけれど場面転換も鮮やかでよくまとまった面白い曲だった。それにしても高橋師、シテは初見なのだけれど、これだけで終わってしまうのは勿体無くて、もっとじっくり観たいと思った。
こぎつね丸
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