観能雑感

アクセス解析

body{margin:0;}.NIN{padding: 0;margin: 0;position: absolute;width:100%;height:100%;background-color:black;color:white;}

観能雑感
INDEX｜past｜will

2004年03月14日(日)

宝生会月並能　

宝生会月並能　宝生能楽堂　PM1：00～

　髙橋章師の『千手』とあらば見逃すわけにはいかないとチケット購入。狂言にあの方が出勤するのを知ったのは迂闊にもチケットが郵送されてきた時だった。
　見所は補助席も出る盛況ぶり。あの方効果か。中正面前列に着席。1月の時と同様最前列にも補助席が出ていて視界が遮られる。

能　『忠度』
シテ　亀井　保雄
ワキ　宝生　欣哉
ワキツレ　則久　英志、御厨　誠吾（番組に記載なし）
アイ　高野　和憲
笛　一噌　幸弘（噌）　小鼓　観世　新九郎（観）　大鼓　柿原　崇志（高）
地頭　今井　泰男

　宝生欣哉師を見るのは今年になってから初めて。美しく運ばれてくる白足袋に包まれた小さな足は何度見ても良いものだ。気品漂う立ち姿も相変わらず。
　シテ登場。面は笑尉か阿瘤尉だろうか。茶色がかっている。謡そのものに訴えかけてくる力がなく、情景が立ち上ってこない。ハコビがヒョコヒョコしているのも気になる。ワキの僧が実は忠度ゆかりの者だということが明らかになる場面もなんとなく過ぎて行き、中入。
　間語、押してくるばかりで一本調子。言葉が染込んでこない。あらためて難しい芸なのだと思う。
　後シテ、萌黄に金の文様の法被（長絹ではなかったように思うが曖昧）。史実とは異なり曲中の忠度は青年という設定だが、壮年の男性に見えた。仕方話で打たれる寸前、この世にどこにも行き場をなくした者の虚無が漂い冷やりとする。閉じた扇の先を僅かに後ろに落として首が打たれる様を表現する能ならではの手法が、大きな動きよりも逆に鮮烈な印象を残す。
　何となく未消化のまま終曲。

狂言　『ぬけから』（和泉流）
シテ　野村　萬斎
アド　野村　万作

　太郎冠者というよりまず野村萬斎という人物が透けて見え、観ていて苦しい。主の鬼の面をかけられてから以降が何故か漫然として面白くなかった。万作師の存在が舞台を引き締め救いとなる。

　終曲後退席する人ちらほら。大きなお世話以外のなにものでもないが、シテ方の例会に狂言だけを目当てに来るのは割高感が高いのではなかろうか。

能　『千手』
シテ　髙橋　章
シテツレ　辰巳　満次郎
ワキ　工藤　和哉
笛　一噌　仙幸（噌）　小鼓　亀井　俊一（幸）　大鼓　安福　光雄（高）

　満次郎師は大柄で逞しいので捕われの風流貴公子という風情からはやや遠く、本気になればそのまま敵陣突破できそうな気もするのだが、惰弱になるよりは武人としての体面を保った態で良かったと思う。
　次第でシテ登場。以下己の内側に語りかけるような謡が鮮やかに情景を浮かび上がらせる。髙橋師、背は高くないががっしりしていていわゆる唐織が良く付く体型ではないと思うのだが、常座で背を向けたときに何とも言えない可憐さが漂う。これが芸の力というものか。
　妻戸を押し開く型は観世流では常座で行われたと記憶しているが、宝生流では脇正だった。閉ざされた世界と外界が結ばれる印象的な場面。重衡の衣に焚き染められた香が僅かに香ってくるようだった。出家が叶わないと知り落胆する重衡を菅公の詩で慰める千手。ワキとシテツレのクドキがしんみりと響く。何とか囚われ人を慰めようと心を砕く千手の健気さがここかしこに溢れ、恐らく節木増と思われる面には悲しげな微笑が煙るように現われる。シテの動き全てから目が離せない。
　必死の思いが伝わるクセは圧巻で、「忘れめや」というシテ謡が祈りのように響き序ノ舞が始まる。最後に序ノ舞を観たのは何時だろう、などと考えていたのだが、腕が描き出す軌跡、体そのものが作り出す線、それらが至上のものであるという思いは言葉の力を遥かに凌駕し、気が付くと目から（何故か左目だけなのだけれど）涙が溢れていた。千手は己の全存在を賭けて二度とは合えない人のために舞ったはずであろう。そしてそこに髙橋章という役者の存在が重なり、無比の舞となった。
　心を通わせたのも束の間、千手は都に護送される重衡をただ見送ることしかできず、終曲。
　私はこの千手という女性がとても好きだ。それは彼女が聡明で心優しく健気だからである。対面を断る重衡の面子を潰すことなく己の目的を果たし、償いようのない罪に懊悩する男を懸命に慰めようとする。白拍子である彼女のできる事は極めて限定されたものだけれど、その中で最善を尽くそうというその姿勢に知性と潔さを感じるのだ。
　言葉が空しく感じる程の舞台に出会えるのは、本当に嬉しい。

能　『海人』
シテ　武田　孝史
子方　佐野　幹
ワキ　安田　登
ワキツレ　不明（番組に記載なし）
アイ　石田　幸雄
笛　一噌　隆之（噌）　小鼓　鵜沢　速雄（大）　大鼓　上条　芳暉（葛）　観世　元伯（観）

　鵜澤師がまず打ち始めたポという音が、空気を祓い清めるかのごとく響いた。
　シテ、立ち姿も謡も悪くはないのだけれど、なぜか訴えてくるものに欠ける。私の集中力がすでに使い果たされてしまったせいなのだろうか。玉ノ段は生々しくなくあっさりとした印象。
間語、言葉に流れがあり自然に耳に馴染む。さすが。
後シテ、面は泥眼。鬼気迫る母から美しい母へと変貌。この『海人』という曲、すくなくとも三回にわたって改作されているとのことだが、後場の追加と後シテが早舞を舞うのはその過程でのことらしい。個人的にはこの後場と早舞はぜひあってほしいところ。子のため、夫のために自らを犠牲にしたこの母には是非とも成仏してもらいたいし、女人成仏は中世の女性たちの心の拠所でもあったのではないか。流儀の主張を考慮しても若干颯爽とした感じが欠けていたとも見えたが、龍戴を気にしてのことかもしれない。囃子はバランスという点で三番中最高で、爽快だった。地謡もやはり三番中一番の出来だったように思う。
　子方は大変な役だろうけれどしっかり勤めていた。

　体調もあまり良くなく、気分も重くて出かけようか正直悩んだのだが、行って良かった。やはり能はいいと思わせてくれた髙橋章師にお礼が言いたい気分だった。

　

こぎつね丸