観能雑感
INDEXpastwill


2002年04月14日(日) 宝生会 月並能

宝生会 月並能 宝生能楽堂 PM1:00〜

「右近」
シテ 佐野 萌  ツレ 當山淳司 波吉雅之
ワキ 宝生 欣哉 ツレ
笛 藤田朝太郎 小鼓 住駒昭弘 大鼓 柿原光博 太鼓 大江照夫
アイ 竹山悠樹

2回目の宝生会である。満席とまではいかないが、まあまあの入りではないだろうか。やはり見所の年齢相は高い。
欣哉師、橋掛りに現れた時点で既に目を引く。派手な容貌では決してないが、確かな存在感がある。なぜだろうかと考えてみたが、基本の構えとハコビがしっかりしているのだ。ツレと比べてみると良く解る。謡は当然良い。少し風邪気味なのか、若干声が低いと思った。それでも実に良く聴かせる。下居しているときに、何度か袖を翻していたので、座りなおしたのだろうが、まるでその時にそうする事が定められていたかのように自然。ワキはこうでなくては。
シテ、ツレと共に登場。囃子と一緒だと謡がほとんど聞き取れない。音量が絶対的に不足しているのだ。本を見ていない限り、あるいは謡を完全に暗記していない限り、詞章の内容は解らないであろう。事前に詞章を読んで行ったが、かなり苦しかった。
アイ、若い所為か、とりあえず決められた事をやるのに精一杯といった感じ。不快ではないが。
中入りして後して登場。黒垂に天冠、舞衣(だと思う)の女神が中ノ舞を舞うのだが、これが美しい。目が離せなかった。囃子も良かったのだと思う。住駒師、音もコミも良かった。成る程、東京では一番というのが解る。藤田師、音はきれいだが外面的。能の囃子は訴えかけが必要なのだと最近気付く。脇能をこんなに楽しめるとは、予想外だった。なんとなく宝生流の地謡の魅力がやや解りかけてきたように思う。健康状態が気掛かりな近藤乾之助師、地頭を滞りなく勤めていた。27日、大丈夫だと良いが、とにかく大事にしてもらいたい。

狂言「清水」
野村万之介 高野和憲
万之介師が太郎冠者の清水。可もなく不可もなく…だった。見所は一部休憩モード。どうどうとおしゃべりする高齢のご婦人方。外でやってくれと思う。


「小塩」
シテ 高橋 章
ワキ 工藤和哉 ツレ
笛 藤田次郎 小鼓 宮増純三 大鼓 大倉正之助 太鼓 小寺佐七
アイ 高野和憲

眠かった。不覚だが、睡魔に襲われてしまった。眠ってはいないが、うとうとしてしまった。脇能よりも四番目物のこちらのほうが退屈だったとはこれいかに。シテに覇気がなかったせいだろうか。囃子もいただけなかった。指皮はめてもいいと思うのだが、そういう問題ではないのだろうか。
アイ、萬斎師に似た抑揚。稽古は彼に付けてもらっているのだろうか。言葉尻がくどい。頂けない。
先の曲以上にシテの謡が聞こえない。やはり詞章は前もって読んでおいたが、暗記していないと聞き取る事は不可能であろう。言葉がわからないというよりも、音量が足りないのだ。謡に張りがないように感じた。序ノ舞も楽しめなかった。残念。


「鞍馬天狗」 白頭
シテ 今井泰男
ワキ 鏑木岑夫 ツレ
牛若 金井賢郎
アイ 高野和憲

今井師、堂々とした佇まい。重厚な雰囲気は宝生役者ならではなのか。鏑木師、ハコビが既に能のそれではないように感じた。言葉にも張りがない。橋掛りにずらりとならんだ子方は華やいだ雰囲気を醸し出す。すぐいなくなってしまうのだけれど。1名を覗いて。その1名、牛若、なかなか健闘していた。小学校高学年くらいだろうか。実に行儀良く舞台に収まっていた。今井師、やや膝が悪そうだが、言わなければ気付かない程度。80歳を超えておられるはず。目が離せない存在感。牛若に対する思いは父としての愛情に近いのだろうか。謡にはそうでないことがはっきり現れてはいるけれど。
中入り後、白頭に白いベシミ(?)で、大天狗登場。かっこいいのだ、これが。重厚で堂々としていて。持っていた杖を落したのが丁度受取ろうとして前に出てきた後見の宗家がいた場所。恐るべし。ちなみにもう一人の後見、男前で驚く。うーむ。シテ方にはもったいないな。囃子方にならんかね、キミ。
床几に腰掛けての所作、舞働きとも、危な気なく至極立派。ややスピード不足かとは思ったけれど、気にはならなかった。取り縋る牛若を励ますところなど、胸に迫って来た。こういう所に強い訴えかけが現れるのが、能の魅力なのだと思う。羽団扇であたりを指して、どこに居てもずっと見守っているから…と去って行く大天狗。さわやかな幕切れである。今井師、見事だった。いい舞台を見せてもらった。
本日は比較的隣の客からの被害が少なかった。まあ、パンフをガサガサいわせるとか、飴の包み紙をむく音がするとか、その程度である。いつもこの程度ですむなら嬉しいのだが。


こぎつね丸