大谷かず子の日記
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2005年08月02日(火) 帰省

朝6時50分集合、JR東鷲宮駅で人権の啓蒙品(ティッシュ)配布。
駅頭での配り物は慣れたもの。
人数もたくさんいるので、30分ちょっとで配り終える。

大急ぎで家に帰り、出かける準備。
これから1泊2日で新潟へ帰省です。

今日と明日は「長岡祭り」
長岡の花火大会に今年も行くことになりました。
9時に出発。
途中、お土産を買いながら、食事をとりながら、のんびりと帰る。

関越自動車道は、中越地震本格復旧工事で、六日町インターチェンジ〜長岡ジャンクション間で、最大40kmの一車線規制が実施されていました(一部区間解除区間あり)。
8月5日(金)で一旦工事規制を解除。お盆期間中は通常どおり4車線での走行でき、お盆明けの8月17日(水)から工事が再開するそうです。

それにしても、暑い。
埼玉よりも暑く感じた。
じりじりと突き刺すような日差し。
日中35℃の暑さも、日が暮れると涼しい。
爽やかな風が吹き、絶好の花火日和となりました。

私たちは、信濃川西岸、長生橋付近で観覧。
スターマインやナイアガラ、三尺玉などの大型が次々と上り、フィナーレには、市民らから集めた約2500万円の協賛金による「フェニックス」と名付けられた花火が登場。平原綾香の「ジュピター」が流れ、6か所から計1000発が一斉に打ち上げられ、幅約1・5キロにわたって夜空が花火で埋まりました。
長岡花火はこれが2日間続きます。
3日には平原綾香さんが会場で「ジュピター」を歌うと聞いて長女が「明日が良かった」と悔しがっていました。(贅沢を言わないの)

1945年8月1日の長岡空襲で約1470人が犠牲になりました。
花火大会は慰霊や戦災復興を願って47年に復活し、今年は60回目にもあたります。
そして、震災からの復興を誓い、決意を示そうと、被災地の有志が寄付を呼びかけ「フェニックス」は打ち上げられました。
感動的でした。
全国の応援してくださった方々にお礼申し上げたい気持ちです。


大谷かず子