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2003年05月26日(月) 科学の方法��

物理を勉強していると、もはや数学と化したかに見えることがあるが、数式の洪水の中から物理的意味を抽出する作業が大事だと思う。でもそれはだんだんと容易なことではなくなってくる。そして、「こんな複雑な数式など現場で何の役に立つ?」と思うようになる。理論物理をやるのならともかく、実験をし、実際に物を創製するという立場に立てば。でも、そのような複雑な数式でさえも、実は自然現象を単純化したもの、人間が理解できるように組み立てられたものなのだ。ときに洗練されすぎており、その発想の飛びについていけないこともあるが、過去の多数の人間の思考の結晶だと思えば、それも無理はない。まあ、単に俺の頭が追いついていないだけの場合もあるのだろうけど、それは訓練して慣らしていくしかない。この道を進みたいのならば、だけど。

『科学の世界では、よく自然現象とか、自然の実際の姿とか、あるいはその間の法則とかいう言葉が使われるが、これらはすべて人間が見つけるのであって、その点が重要なことである。実態を見つけたといっても、それは科学が見つけた自然の実態である。従って、それは、科学の眼を通じて見た自然の実態なのである。自然そのものは、もっと違ったものであるかもしれないし、たぶんずっと違ったものであろう。しかしながら人間が見る以上は、人間の眼を通して見る以外には道がないように、科学が自然を見るには、科学の眼を通じて見るより仕方がない。別の言葉でいえば、現在の科学に使われているいろいろな考え方、すなわち科学の思考形式を通じて自然を認識し、その上に立って、科学がつくり上げられている。その思考形式としては、ものを分析したり、またはそれらを綜合したり、あるいは因果律に従って、順序を立てたりするようなやり方がある。それから統計の結果を見る時には、確からしさ、すなわち確率(プロバビリティ)という見方によって、結果を判断する』(中谷宇吉郎『科学の方法』)


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