今頃知った。今頃わかった。
愚痴を聞きすぎて他人の掃き溜めになってしまう事は、 自分をすり減らす事であること。 人は皆自分が大事で、自分が助かるためなら、 掃き溜めになりそうな人に吐き出して楽になる事。 その人らには決して悪意はない事。 掃き溜めが何かを言いそうになったら、うまく逃げられる事。
私は掃き溜めになり、消耗したけれど、 掃き溜めになることを望んでこうなってしまった面もあるのだ。 人に受け入れられたい、私を認めてもらいたい、 だから、人の苦しみも引き受ける、 それが悪かったのだと、ようやくわかった。
とにかく、自分を一番に大事にしなければならない。 「我慢が美徳」とは今の私にとっては呪いの言葉でしかない。 しなくてもいい我慢をして、しなくてもいい恨みを抱く。 なんだか随分時間と感情を無駄遣いしてしまったような気がする。
そんな事にようやく気づいた後、加藤諦三の「不安のしずめ方」を読んだ。 「小さい頃に愛されなかった」という記述が多いのは、余計なお世話だと思うが、 それ以外の事は、今の私が気づきつつあった事を、わかりやすく文章にしてくれた。
そうやって、ようやくある人にきっぱりと断りを入れる事ができた。 希望を持たせてしまうのは私にも相手にも良くないと思って、 希望を一切持たせる事のない返事を返した。 相手には相手の事情があって私に不利な主張をしているけれど、 私には私の自尊心があって、それをどうしてもすり減らす事はできない。 嫌われてもしょうがないし絶縁状態になってもいいと思って、 必死に断った事について、相手は私の事情をあっさりと理解してくれた。 色々と疲れたが、最善を尽くしたので少しすっきりした。
私は今まで磨り減ってしまった私を取り戻すために生きる。 今のままでは惨めだ。
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