予想した現実はあくまで予想されたものでしかない。どんなに厳しくても現実は現実。逃げることができない。逃げたくもない。立ち向かうだけの力もない。先は見えるが、そこは荊の道。素手で歩くには辛すぎる。
自分はなぜ教師を目指したのか。どんな教師になりたかったのか。どんな生徒を育てたかったのか。どんな社会を作りたかったのか。思いをめぐらせるも、結論は出ぬまま。保身を良しとし安穏とした日々を送るのか、それとも。やっとつかんだ夢のしっぽ。それをつかみつづけるのは難しい。そもそも離さずにいることに果たして意味があるのか。生きる道に迷いはないが、その歩み方に戸惑う。
言葉。とても大事なもの。今、関西圏にいる自分は時々途方もない孤独感に襲われる。それは「孤独感」という言葉で表現しきれるものではなく、何か無性に叫びたくなるような感覚。その時、テレビや友人の言葉に支えられる。何気ない言葉でいい。それが自分を育てた言葉であるならば。いわゆる標準語であるならば。それだけで自分は救われる。
いまニュースステーションで「12歳の地図」という特集を見てました。こんな子どもばかりだったら中学校教師は楽しいかもしれない。
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