| 2002年12月22日(日) |
十年構想〜少年の日の夢〜 |
十年前、日本のプロスポーツと言えば野球だった。野球しかなかった。 しかし、世界は違う。白と黒のボールに夢も、生活も、何もかもを託す人が多くの国にいた。それがサッカーだった。遠くイングランドで生まれたサッカーは、長い道のりを経てこの島国にやってきた。伝道師は英国海軍、実に明治6年(1873年)のことである。その後多くの先達たちの手と足で支えられてきて、1993年プロ化した。Jリーグ。老若男女を沸かせるスポーツの誕生だった。それは、サッカーをする全ての人たちの夢だった。言葉にできないほどの感動。サッカーが何人で行われるかも分からないのに騒ぐサポーターの横で、何人のサッカー人が涙を流したことだろう。プロ化に間に合わず引退していった老兵たちも、それを待ち望んでいた若き戦士たちも、あのユニフォームに袖を通すことを目指した少年たちも、全てのサッカー人が、あの時を忘れないだろう。 あれから十年。状況は変わった。サッカーは国民的スポーツとして認知され、ついにはワールドカップが日本で開催されるに至った。Jリーグもプロリーグとして確立しつつある。ヨーロッパと比較したらなまぬるい玉蹴り遊びかもしれない。それでも、サッカーと呼べるレベルのものになった。その成長は筆舌に尽くしがたい。 今、老兵はソファから見守る。世界で戦う戦士たちの闘いを。 今、戦士は闘う。現実となった世界の頂きを目指して。 そして、少年は夢を見る。自分の足の輝きを信じて。
今日TBS系「スーパーサッカープラス」でJリーグ十周年を記念して特別番組が放映された。それに沿ってこの十年を振り返ろう。
〜Jリーグベストイレブン〜 3回 藤田俊哉 福西崇史 三浦和良 柱谷哲二 ビスマルク ストイコビッチ 4回 秋田豊 中山雅史 名波浩 相馬直樹 5回 井原正巳 ジュビロ、アントラーズの選手が多い。どの名前を見ても日本のサッカーを支えてきた選手に違いない。5回獲得した「井原正巳」の名前がでた時にまず泣��
〜1993年〜 黄金カードと呼ばれたのがヴェルディ川崎対横浜マリノスだった。日本リーグ時代からの因縁は消えない。 1stステージ優勝はジーコ、アルシンド擁する鹿島アントラーズ。2ndステージはカズ、ラモスを筆頭にスター軍団と言われたヴェルディ川崎が優勝。総合優勝はヴェルディ川崎。 MVPは日本のエース、カズ。ブラジル仕込みのプレーを見せた。
〜1994年〜 1st優勝はサンフレッチェ広島。GK前川、MF森保、FW高木とバランスの良さが光った。2nd優勝はヴェルディ川崎。総合はヴェルディ川崎がもぎとり2連覇を飾った。MVPはペレイラ。ヴェルディのDFの要としてレベルの高いプレーを見せ活躍した。
〜1995年〜 中田・名波・森島・川口がデビュー。1stを万年優勝候補と言われていた横浜マリノスが優勝。2ndはヴェルディ川崎。黄金メンバー最盛期を迎える。ヴェルディ有利との周囲の見方を覆し、総合優勝は井原正巳の決勝点により横浜マリノスだった。井原のゴールシーンと早野監督の涙で泣�� しかしMVPは名古屋グランパスのストイコビッチだった。Jリーグ史上最高のファンタジスタ。そのプレーは時を止め、日本人プレーヤーに大きな影響を与えた。そのスーパープレーに泣��
〜1996年〜 この年はワンシーズン制が導入され鹿島アントラーズが優勝。ジーコの指導により王者が復活する。MVPはブラジル代表のジョルジーニョ。DFからOFまで鹿島の中盤をレオナルドとともに支えた。
〜1997年〜 稲本・中村・アレックスがデビュー。1stステージをアントラーズ、2ndステージをジュビロが制し、2強の時代が訪れる。総合優勝はジュビロ磐田。MVPはそのジュビロを率いたドゥンガ。ブラジル代表のキャプテンはそのずべてにおいて世界最高峰だった。
〜1998年〜 小野・高原がデビュー。フランスワールドカップ本大会に初めて出場し、Jリーグの真価が問われた。結局一勝もできず終わってしまうが、その舞台で戦う姿にからだが震えた。 1stステージをアントラーズ、2ndステージをジュビロが制す。この年はアントラーズがリベンジを果たす。ワールドカップの影響もあってかMVPはジュビロの中山。 ドゥンガが日本を去る。開幕当時から多くの外国人に支えられていた。ジーコ、リネカー、マッサーロ、スキラッチ、ディアス、ラウドルップ、ブッフバルト・・・。本当に多くの素晴らしい選手が、そのプレーで、Jリーグの発展に尽力してくれた。その映像に泣�� 「感動をありがとう」レオナルド(鹿島) 「あなたたちのことは一生忘れません」ストイコビッチ(名古屋) この年から入れ替え制度が導入され、必死の降格争いが展開された。福岡、札幌、多くの涙が芝に散っていった。
〜1999年〜 1stステージでついに清水エスパルスが優勝。2ndステージでジュビロが優勝し、静岡対決に。チャンピオンシップ第2戦でアレックスが退場してしまい、誰もがジュビロの優勝を確信するが、清水の沢登のFKを口火に逆転。最後はPK戦になりジュビロが優勝。だが「ドーハの悲劇」を味わった沢登が優勝時に見せた涙は熱かった。泣�ァ�MVPはアレックスが獲得。
〜2000年〜 1stステージを横浜マリノス、2ndを鹿島アントラーズが制し、総合優勝はアントラーズだった。この年アントラーズはナビスコカップ、天皇杯も加えて初の三冠を獲得。完敗だったチャンピオンシップで、鹿島のウイニングランの横で、悔しくてボトルをグラウンドに叩きつける中村の涙する姿が印象的だった。泣�Α�MVPはその中村。若きファンタジスタに栄冠が贈られた。
〜2001年〜 1stステージを前年無冠だったジュビロ磐田が最速優勝。2ndステージはジュビロと勝ち点1差で辛くもアントラーズが優勝。総合優勝もアントラーズ。しかし年間順位を見ると勝ち点17差でジュビロが1位。チャンピオンシップのたった2試合が王者と敗者を分ける。ただ、その悔しさは翌年果たされることになる。 〜2002年〜 日韓共催のワールドカップが開幕。 (vsベルギー)2−2 鈴木のつま先から日本の夢が始まった。続いてプレミアリーグのアーセナルで1年間ベンチ生活を送った稲本がゴールを決めるも、世界の壁は厚く2−2で引き分ける。 (vsロシア)1−0 ヒーローが加速する。稲本のゴールでワールドカップ初勝利。しかしその裏には夢叶わなかった者たちがいた。中村俊輔、名波浩は結局代表メンバーに選ばれず。高原直泰は体調に問題があり同じくメンバー落ち。日本中が期待した彼らのプレーは世界の舞台で見れなかった。泣�� (vsチュニジア)2−0 前大会ではわずか11分間の出場だった森島寛晃がゴール。同じく前大会では開幕直前にメンバーから外れた市川がその日最高とも言えるフェイントからクロスをあげて 泣�─∈埜紊話翕弔�ダイビングヘッドで相手GKの股を抜き、決勝トーナメント進出を決める。 (vsトルコ)0−1 遠くブラジルから来た留学生アレックス。時を経て彼は日本に帰化し、その足で日本人に夢を見せた。アレックス改め三都主の祈りを込めたFKはたった15cmの鉄棒に妨げられる。日本の夢物語はそこで終わった。 「日本サッカーの監督であったことを誇りに思います」トルシエ監督が涙ながらンに言った。何度もマスコミに叩かれたが、それでもあきらめずに日本代表を導いた。間違いなく日本のサッカーをレベルアップさせた一人だ。彼に感謝したい。彼がいなければあの夢は見れなかった。絶対に。 8年前は出場すらできなかった・・・ドーハの悲劇 泣�� 4年前は1勝もできなかった・・・ジョホールバルの奇跡 泣�� 何度も涙を流してここまできた日本。今回流れた涙も、4年後への光。 泣��
涙腺弱くなりました。この番組涙なしでは見れません。Jリーグと歩いてきた十年、サッカーが何度も自分を支え、そして強くしてくれました。 今年のワールドカップが終わったとき、もうサッカーで涙は流せないと思いました。いけるところまでいった。あの時、少年のとき見た夢は叶えられたから。でもそれは間違いでした。まだ上はあるし、何よりボールを蹴りつづける限り、そこに感動が生まれるから。サッカー人すべてがファンタジスタという私の考えは間違っていないはず。 老兵が杖をつきながら蹴るボールからも、 戦士がその全てを賭して蹴るボールからも、 少年が夢を込めて蹴るボールからも、 どこからもファンタジーは生まれる。 これからもサッカー人です。一生私はサッカー人です。 それが自分の誇り。ちっぽけな自分だけど、これからもサッカーとともにありたいです。
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