雨のち晴れ...scbellen engel
わかんないよ - 2003年10月01日(水)


母の唯一の親友のご主人が亡くなった。
突然だった。
母は、ついこの間 息子同然の甥を亡くし
やっと体調が良くなり始めていた。
そこに、突然の訃報。
親友の方は愛するご主人を亡くされ、母の姉のように
動揺しまくっているという。
そんな親友を目の前にし、母は言葉も出ず自らをも動揺している。
私も知らない方ではないので、驚いた。
いつどこに行くにも御夫婦一緒の方々だった。
母は今日、親友の件と同じ日に甥の件でも
(正確には甥の母である姉、つまりは私の母にとって実の姉)
問題をひとつ抱えた。
たいした事でないけれど、母にとっては もう限界にすぎず。

なのに、私は風邪ひいて自分が体調悪いのに寝てるとこを起こされて、
詳細を聞く前に怒ってしまった。

      「いきなり、ごちゃごちゃ言われたって
       わかんないよっ!!」

怒りながら、仕事の支度をしながら母の言葉を聞いていた。
とりあえず簡単な言葉を残し、出勤。
・・・帰宅。
母は自分の部屋でなく、階下の居間でごろ寝していた。
待っていたのだ。
私の帰宅を。
その姿を見て私は母の気持ちのやりどころの無い事を痛感。
話を全て聞いた。手続きも手伝った。
母は私の出勤時「こんなに次々続くと、せっかく落ち着き始めたのに
又、おかしくなるわ。もう死んでしまいたい。」
そう言った事を思い出した。

私には私のいろんな思いがあり、それを誰に理解してもらおうなどと
今更思っていない。実際、母でさえ理解など示してはくれていない。
つい この前も「あんた、まだ変な薬(クリニックで貰ってる薬の事だ)
飲んでるんじゃないでしょうねっ!!」と怒鳴られたくらいだから。
心配してる事は解っているけど、私の思う物は母には通じない。
無理なのだ。
私が境界性人格障害になったのは、
この母と今現在どこでどうしてるかも分からない父の元で
育ったからにすぎないから・・・。

この年老いた母を私は、この先どのくらい正気で
一緒にいてあげられるだろう。
母の今までの人生が、すさまじかった事。
そして、その人生に間違いもあった事。
そうさせたのは、私同様、母の親達である事。
この事実を幼い頃から聞かされ続け、
正気でいられる事のが少ない現在の自分。
私の実の姉なのに姉と思いたくもない姉達。

それぞれの人生の歯車が、かみ合う事は無い。
人として・・・生きているかぎり。





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