徒 然 草
自堕落日々の暴露記です。
更新があればタイトルに載せますのでご参照ください。

2003年05月19日(月) 若いなぁ。

そんなことを言ったら某くんに失礼かな。今日は彼の幼さを感じました。
基本的に饒舌で他人を笑わせるのが好きで、それでいて小心者(本人談)。
結構確りしているんですが、それでもやっぱり彼は歳相応の人間だなぁと。
「現実を見据えたら、あんなことは無理だ」と何度も言ってました。
実はその彼こそが少しだけ現実という、この小さな社会との齟齬にもどかしさを感じているのだと見受けました。既に結構凹んでいたので本人には言いませんでしたが(冷酷)。
この先、数年間で今日以上に凹む日も必ず来ます。プライドは高いけど度量も狭くはないので、少しずつ感情を管理できるようになると思います。私が見守れる時間はそう長くはないけど、また話してね。

と、本当に私一人にしかわからない内容ですみません。


最近、頭をぐるぐる渦巻いていることがあります。
某トピックで「作品を見に来ている訪問者には後書きも日記も必要ない。訪問者にとって管理人の日常(特に愚痴)なんぞは鬱陶しいだけだということが分かってない管理人が痛い」といった内容を拝見しました。実際はこんな断定口調ではないのですが、箇条書きで。
確かに研ぎ澄まされた語彙で、作品にその人全てを注ぎ込めたら、それ以上は不要だと私も思います。その潔さ、表現力に惚れ込んでいます(進行形<しかも複数)。
ですが、私は言い訳(それ以外の何者(物?)でもないよな…)を書いてしまいます。愚痴も不満も独り言も。要修業。

「漢字を必要以上に使用して、読み手を遠ざけるのはナルシストで傲慢だ」といった内容も記載されていました。勿論これも箇条書きです。
全く以ってその通りです。私自分を嫌なトコも含めて超絶ナルだと思ってます。傲慢は言うまでもなく。
以前、枯木山のSSを辞書を引いてまで読んでくださった方がいらして、その方の激ファンである私は有り難さと申し訳なさで画面越しに深謝しました(伝えていないので単なる自己満足)。
私自身は辞書を引くのが大好きなので、何の苦もないのですが。漢字フェチだから。文字一つに意味があり、歴史があり、ドラマがあると思うのです。
だからといって他の方に対する配慮が足りない言い訳にはなりませんがね。

私はどうしても自分中心に物事を考えるので、こうした意見を知ることが必要なのです。それを昇華できていないのが私たる所以ですが(女京極談)。私自身としてはほんの僅かにですができていると言いたいんですが、やっぱり彼女が正しいようです(苦笑)。頑張れ、自分(何度目だ)。


ここで漸く某くんとの会話に戻りますが、自分が批判(非難に非ず)されることに逃げ腰になって欲しくないなぁと思います。
ありふれた言葉になりますが、それは「期待」であり「信頼」の証なのだから。
苦言を呈しても揺らがない関係、問題を消化して昇華できる力量があると認識されているのだと。
だから私は口の悪い友人たちが大好きです。信じてくれて、有り難う。
彼もそれは理解しているようなのですが、それと感情がまだ寄り添えないみたいです。少しずつ、少しずつ近寄ることを祈ってます。

波乗りしていると「批判しないでください」「文句を言わないでください」という言葉を見かけます。その度に思うのです、勿体無いと。
悪意に満ちた非難は私だって欲しくないです。オンラインは「褒めてナンボの世界」ということも耳にしたことがあります。(勿論私は心からの賞賛をお伝えしていますので、変に不安に思わないでいただきたいです)(私が敬愛する方々は揃いも揃ってシャイな方々vだから敢えて言明)
でもやっぱり勿体無い。勿体無いです。

綺麗事というより貧乏性なのですね。流石「もったいないお化け」信奉者だ、私。
きっと私は悪意に遭遇したことがないからこそ、こんなことが思えるのでしょう。
そして自分の話を矢鱈にするのは、こんな愚痴や不満を言っても受け止めてもらえるという甘えがあるからです。小さい子供が「聞いて聞いて」というのと変わらないですね。少しは成長しましょう、自分。

今日も「万言を費やして一事もなし(ウロ<殴)」ですね。
結局は「マイペースに苦言に耳を傾けましょう。できたら改善しましょうね」ということでしょうか。うわぁ、めっさ説教臭い。これだから年寄りは。

わっはっは。
笑って逃げてしまえ(待て)。


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真砂 天藍