月のシズク
mamico



 信じること

夕闇に、ふと梅の香りが匂った。
自転車を止め、眼を凝らすと、薄桃色の梅花が佇んでいた。
眼をつむり、その儚げな匂いを吸い込む。すると、眼を開いていたときより、
その花そのものが、ありありと認識できるのは、どうしたことだろうか。

こういうとき、私は自身を深く信じることができる。
米国思想の父エマソン(Ralph Waldo Emerson)は、有名な古典的随筆
"Self-Reliance" (『自己信頼』1841年)で、心の高潔さが、ある意味、
宗教を越えて重要なものだと語った。神聖さ、とは自己への誠実さに通じる。

他者との関係性のみならず、万物と関わりを持つということは、すべて
自己信頼に基づいていると思う。「私はアナタを信じています」という言葉には、
「私はアナタを信じている、私を信じています」ということに帰結する。

祖父が生前、よく口にしていた言葉がある。
「仏さんに手を合わせても、神社に参拝しても、結局のところ、わたしは
 自分の中の神さんを信じているんだ。それは、祖先に対する信頼と同義だ」

まだ子どもだった私は、神さまなんていないじゃん、と反駁していたきらい
があったが、今ならその意味を体感できる。一神教の神ではない、その神聖
なものは、誰の中にでもあるということを。強い力で気づかされる。

暗闇で感じた梅の花の香りは、忘れていることを忘れてしまっている、その
現実をよみがえらせてくれる。それがたとえ、ファンタジーであったとしても、
頭の片隅の冷静な部分が稼動している限り、私は強く、信じて生きてゆける。

2004年02月10日(火)
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