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■ その横顔
自分でもびっくりするくらい、完全に心を奪われていた。 五月の風が水面をそよぐような、やわらかで優雅なほほえみをたたえた横顔。 なんという優しい目元、唇の両はじが軽くあがって、いっそう豊かな表情を 作っている。なんてこった、曲が耳に入ってこないじゃないか。
そもそも私は男性の顔に好みはない。 世間一般的に評価される美男子の類は判別できても、個人的にはなんとも おもわない。それよりもむしろ重要なのは表情。表情が豊かな人は、男女 問わずとても好ましく感じる。その表情が変化する場は、ものを語っている ときが多いような気がする。
誰かと相対しているときに、人の表情はおもしろいほどくるくる変わる。 だから遠いステージ上で、曲が始まった瞬間に表情がまろやかに変化する 人を見て、まさに意表を突かれてしまったのだ。
その男性は、最初の曲が始まって、最後の曲が終わるまでずっと豊かな ほほえみをたたえていた。どれだけ激しい指や腕の動きをしていても、 表情はまるでおだやかなのだ。正直、こんな演奏者は始めてで、まったく あっけにとられて見つめていた。気が付いたら私は、演奏会の間中(別に熱の こもったわけでもない)ぼんやりとした視線を彼に投げかけていた。
曲が終わり、全員が起立して正面を向くと、どおってことのない顔つきの 男性だった。そして驚いたことに、さきほどまでの優雅なほほえみの残像すら 残っていなかった。むしろ冷ややかで、無表情なのっぺりとした顔つきだった。 ああ、人の顔って、見る方向とわずかな表情によってこうも違うものなのね。 と、内心、すこしがっかりして夜道を帰ってまいりました。
2001年10月27日(土)
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