『たけぐせの随・弐』

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2006年03月11日(土) 「今宵は、まぁ、そういうことですわ。たぶん。」

夜の夜中に、
チャリで、
レンタルDVDを返しに行った帰り、
何故だかペダルを踏み外したさ。
立ち漕ぎしてたから、
ベンケイが少し腫れたさ。


芸術(アート)とはなんなのでしょうかね。
昨年の個展とか顕著に、もしくは折りあらば、
作品に対する意見を聞けるのだが・・・

何を以ってして語ってくれるのや。

それは個人の美的センスだったり。
それは個人の要望だったり。
それは昨今のアート事情を知り得てだったり。
それは古来の芸術論に沿ってだったり。
それは商業的視線だったり。

なんにせよ、
わたしにまだゆく先があるだろうと感じてくれてるから、
意見を言ってくれるのだとは思うようにして、
しっかりと脳ミソまで通して聞き耳立ててます。

かく言うわたしも
やはり稚拙なものを視ると言葉はありません。
何を以ってして視ているのか。
昔のバイト柄、熟練されたものを数多く視てきました。
それなりに目は肥えている。
その基準でいる所の、稚拙なのか。
違いがあることは確かで。

でも単純に「線」基準なのかもしれない。
気持ちいい「線」は唸ってしまう。
その唸りに作品のテーマやらなんやらウンチクなんぞもいらない。

芸術はそれでは立つ瀬なく。
どうでもいいじゃん。って思うが、
自己弁護か。

で、それでもまた、かく言うわたしも、
テーマがあったりする。なかったりもする。

ジャンル分けは人間の本質にあり。
どこかに振り分けられなければならない。

キャラクターを描いて、「絵」と言いはる。
木製パネルにアクリル絵の具を使ってギャラリーに飾り、個展。

見に来た人にさらりと「このイラストは〜〜」なんて切り出される。
わたしが「絵」を描いていると初めて知った人に「何描いてるの?」と問われ、
「キャラクター」というと、あぁ、イラストね、というリアクションをされる。


ただ、気持ちいいものではダメなのかね?
現代美術にもなりもせんのかね?
今の現代で、わたしは芸術家には分類されないし、
自身、芸術家気質でないことも解っている。

「人間」なのです。
しかも、俗な。

ただ、一つの生しかない人間として、
生き方にはこだわってる。
ワールドピースも語れないけど。
九州の血を持つ「男」として。


『自我作古』:我により古(いにしえ)を成す。


好きな言葉です。
そんなだいそれた所はめざしてなしが。


俺一人の生き道くらい、時代に沿うこともないだろうて。
いろんな意見を頭に入れて、今思うこと。
やっぱり今まで好きにやってきたように、
これからも好きにやってゆこう。
自分の流れを信じて。
揺れに揺れても、絶対に後悔はない。


時代の流れや、
古来からのセオリーに沿るほど閑ではない。
むろん、それらが俺の流れに入ってくれば、
それはやる。


いろいろな所からの逃げの言い訳っぽい聞こえるかも知れないが、
もちろんそれも自問自答の末のことで。

それでも、
わたしは昔からかわらず、とんでもなくでっかい所を見つめてます。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん」と言ってみたいね(笑
人は成長するものです。
これからも貴重な意見はいくらでも聞きかせていただけたらと思います。


人に認められる事を欲していたが、
自分に自分を認めさせる事の方がやっかいだ。


芸術は爆発でもなんでもして、消えてしまえ(笑


表現者として、
芸術を一つのツールとして考えると、
もっと大切なものがあるだろうて。
そして、「表現者」とは「人間(みんな)」であって。
で、みんなにとって、芸術とは一つのツールで。
ということで、
みんなにとって生きる上で大切なものって何?

何段論法?(笑


わたしが絵を描くという事は、
そういうことです。


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