ムッキーの初老日記
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2002年03月09日(土) 千里眼


私は人より多少カンが働くほうだと思う。
それと、見たくもないものが見えてしまうこともある。
もちろん超能力者とか、霊能力者とかのレベルには到底届かないし
カンの冴え方にも非常に波がある。

しかしここ最近の自分には、自分でビックリすることが多かった。

例えば、遠く離れて住む従妹とチャットをしていたとき、
ふっと「じゃがりこ」というお菓子のことが頭に浮かんだので
『ねえ、じゃがりこって好き?』と打った。すると
『ウン、好きだよ。ちょうど今、食べてるよ。』という返事が返ってきた。

スーパーに買い物に行ったとき、
今まで一度も買ったことのない「イチゴ大福」が目に入った。
何故だろう、ふと買いたくなった。
自分とオットの分2個を買って帰りテーブルの上に置いておいた。
帰宅したオットがそれを見て

「なんでっ・・・!!」と絶句して私を見た。

オットによると、昼間、無性にイチゴ大福が食べたくなったという。
どうしても食べたくて、昼休みにコンビニに行ったものの売っておらず、
落胆のあまり肩より低く頭をたれた、というのだ。
そして私に電話して「買っとけ」と言おうかと考えたが、
そこまでするのもどうかと思い、止めたのだと。

そして帰宅。テーブルの上には熱望したイチゴ大福。

今までも、昼間食べたいと願ったおかずが夕飯に出てきたことは
数限りなくあったという。でもそれは長年連れ添った夫婦であり、
ある程度おかずのローテーションというのもあるから
まあそういう事もあるだろう、とあまり深く考えなかったが、
「いやあ今回ばかりはビックリした!」とオットは熱く語った。

その後「相手が考えてる色を当てる」という実験をしたところ
オットが頭に思う色を、私が5色連続で言い当ててしまった。
さすがにお互い気持ち悪くなり、6色目の実験はやめておいた。

人間の気持ちとか、そういうものは、電波のようなものではないかと思う。
携帯の電波、テレビの電波、ラジオの電波。
みんな確かに存在しているが目には見えない。
電話機やTVなどを通して、初めて聞こえたり見えたりする。

きっと私は「田舎のケータイ」なのではないか。
いつもは「圏外」なのだが、場所や、その他何かのキッカケで
ふっと1本だけアンテナが立ったりする。
その時たまたまそこに流れている電波、
「じゃがりこって美味しいなあ♪」とか
「ああー!イチゴ大福が食いてえーー!」とか
「黄色、黄色、黄色ー!」とかいう
人の想い、『想念』を、それとは知らずキャッチするのではないか。

この『想念』というのは、きっと死んでもすぐには消えないのだ。
池に投げた石の波紋が、石が沈んだ後も水面に広がり続けるように、
肉体はなくなっても想念は残る・・・。

私がたまに見てしまったり聞いてしまったりするのは、
きっとこの想念を私のアンテナがたまたまキャッチした時なのだと思う。
全然感じない人というは「田舎のPHS」だったり、
或いは受信機を持っていないのではないか。
反対にこの受信機のアンテナが、いつもバリ3(死語)なのが
超能力者や霊能者と呼ばれる人たちだ。(ホンモノ限定。)
この方たちはいつもクリアに電波を受信出来るので
なんとなく大福を買う、というような曖昧さではなく
「ん!?○○め、今イチゴ大福を食べたがっているな!」
という風にはっきり感じ取れるのだろう。

そう思うと「幽霊」というのも、そう怖くもないかなと
最近やっと思えるようになった。
いやそう思わないと、自分がたまに見てしまうものの説明がつかない。

死後の世界があるかどうかなんて事はわからないけれど
嘘や気のせいや幻覚などでは決してなく、
それは確かにそこにいるのですよ、大槻教授。


ムッキー

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