■さよなら少年■ ダブルデート


 嫌がらせのように向かいのホームの電車は扉を閉じて行ってしまった。すべての総武線が余すところなく山手線に接続されていればいいのに。むしろそうでない理由が分からない。だから僕は表参道ヒルズなんかに行くのは嫌なんだ。

「不二?不二やないか」

 舌打ちしながら顔を上げるとびっくりした忍足の顔がそこにあった。僕はびっくりして「わぁっ」と小さく言った。白いタンクトップを着た忍足の上半身は思いの外、美しかった。
 思いの外というのは別に忍足が美しくていけないとかそんなはずないとかじゃなく、自分がそんな風に思うことはないだろうとどこかで信じていたのだ。忍足は、美しい肩の曲線をゆるやかに崩しながら、前髪を掻きあげた。フウーッと長く彼が溜め息をつくと、夏が新宿を席巻した。

「ああ悪い。そんなつもりはなかったんだ」
「どんなつもりなら声かけただけで舌打ちされんねん」
「ごめん」

 彼は黙った。僕も黙った。ポツリと「キレーな顔して」と忍足が言ったので、「きみも綺麗だよ」と言ったら、また黙った。
 会話が跡切れてしまったのが悔しくて、僕は興味もないのに尋ねた。

「どこかに行くの」
「表参道ヒルズ」

 僕は表参道ヒルズなんかに行くのは嫌なんだ!!

「今日は、どうしたの」

 僕のクイックイッという仕草を見て忍足が吹き出したことでなにかすごく充実した感じを得た。調子に乗って何度もやると忍足は、いつも眼鏡があるそのあたりを左手で覆った。何しろこのギャグは手塚を笑わせたことがあるのだ。

「‥‥おいてきた」

 眼鏡のない忍足の顔はあどけない。そして女教師とつきあっていそうな顔だ。やらしいなあ。

「‥‥罰ゲームで」

 忍足にムラムラ欲情する女教師の心境を想像してムラムラしていたら、おなじみの『お下がりください』に少し反応が遅れた。僕の左の肘の少し上の辺りを忍足の手が遠慮がちに(しかし毅然と、そして無意識に)掴んだ。喉仏の下がむずがゆく疼いた。

「青学不二ーっ!」

 今日はよく名前を呼ばれる日である。
 隣りのホームに顔を向けると陽炎立つ線路の向こうで氷帝芥川が僕らを指差していた。茶色か黒と、白かピンクの、タンクトップを重ね着して三十七℃にまばゆく照り返していた。少年は夏だ。僕らは夏だ。芥川の髪が一瞬金属のように光って目を焼いた。やがて山手線渋谷・品川方面行きがそれを隠した。

「あいつなんで覚えられへんねん」
「一緒に行こうか」
「ふぁ?」

 動揺したらしい忍足が馬鹿げた声を出した。僕は前髪を掻きあげて、切ったばかりの髪のツルツルした表面を確かめた。

「表参道ヒルズ」
「えー」

 あっかわいい、と思った僕が声を低めて笑うと忍足は大人っぽくちょっとだけ笑った。僕らは夏だ。たとえ三人の誰一人日に焼けていなくても。
 目の前で閉じる扉に乗り込んでしまわない忍足は芥川と待ち合わせしてる。行き先は表参道ヒルズ。駅前のあのカフェに三人で行ったらきっとあいつの機嫌は悪くなる。そしたらあのギャグをやってみよう。
 跡部は笑うかな。


(了)

2006年12月08日(金)

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