■冗談の春■ 氷帝メン。


 引っ越して、受験するつもりの大学の前のコンビニエンスストアでバイトを始めた。かれこれ半年になる。面接の時履歴書に書いた『酒屋勤務』に突っ込まれ馬鹿正直に「なんとなくノリで在学中に就職してしまいました。前の大学の時に」と答えたらものすごく引かれた。が、採用の電話は次の日に来た。宍戸がケーキを買って祝ってくれたが俺もあいつもそんなに甘いものが好きではない。冷蔵庫に入れておいたら翌日来た慈朗が食った。俺は今、宍戸と同じ部屋に住んでる。

 中学高校の部活仲間といまだにつるんでいるというのは幼く思われるかもしれない。けれどもずっとそうしていたわけではなく実際去年まで俺は東京にいなかった。岳人の家がごく近所だということを宍戸は俺に言わなかったし、鳳と暮らしていた頃の部屋には慈朗は来たことがないらしい。まあ身内からホモが出れば人間自然と疎遠になるものだろうか。さりながら、一度はそうしてほどけかかった繋がりがまた結びあうきっかけとなったのが、人の輪からわりかし距離を置いていた俺の帰還であることは世の味わいである。

「いらっしゃいま‥‥」
「だせー」

 まじ激ダサ。宍戸が笑いながら、持っていたペットボトルで俺の尻をぶった。自動ドアが開くとついいらっしゃいませと言ってしまう。ここは家の近くのコンビニで俺はいま客で、ヤンマガのグラビアを立ち読みしていたのにだ。確かにだせーが、お前のその口癖もどないやねん。

「愛想ねえ割に染み込んでんのな、口先だけは」
「アホか、ファミマのレジでこんなもっさりしたオトコがにっこり微笑んどったらきしょくて二度と行かれへんやん。お前に俺の営業時代見せたりたいわ」
「ファミマだろうが酒屋だろうがおめーのキモさに変わりねーだろーが」
「バッカ、」
「バカ言いなや」
「モテモテやっちゅうねん。スナックのマスターからバーのマスターまで忍足くんの必殺スマイルにメロメロやっちゅうねん。そら白角1ケース余分に頼むわ」
「つうかマスター専門かよ!」

 こいつとの会話がボケツッコミ調になるのは俺のせいではない。俺は関西人ではあるが決して笑いを取りたい人ではない。むしろ宍戸だ。俺がこれだけまったり喋っているのにこいつのツッコミのせいで微妙にテンポ良く感じられてしまう。東京人であるのに繰り出される『バカ』『バカ言いな』はもはや老練の域に達している。なんでやねん。

 というか本来温和な俺がバカとかアホとか言うこと頻りなのはこいつの口の悪いのが伝染したせいだ。振り返れば俺らの代の氷帝学園は口汚さ関東随一を誇っていた。エロ話と下ネタを言わないだけでなんとなく上品なように思われていたのだから驚きだ。ちなみにその口汚いツートップを張っていたのがこの宍戸と部長の跡部である。

「‥‥なあ、覚えとるか」
「あ?」
「天才不二周助。青学の」

 宍戸は不意に黙って、こっちをじっと見た。何かを訊きたいようでもあり何かを了解したようでもある。俺は横顔のままでいる。

「覚えてるぜ。そいつがどうかしたのか」
「最近よく来るんや。年明けてこっち」
「ファミマに?」
「ああ。なんでやと思う?」
「さあな。家近いんじゃねーの」

 一応本当にわからない態を装って尋ねたが乗ってはこなかった。宍戸は一見ほど短気ではないが面倒臭いことが嫌いだ。あと表面はやはり短気だ。まさに今、本気で俺と話すのを面倒臭いと思った。自分たちが友達ではないなと感心するのはこういう時だ。どこまでいってもこいつと俺の関係は『仲間』であり最終的には『敵』なのだ。

「ちがう言うてた」
「じゃあ大学は」
「ウチ? そんなわけないやろ」
「わかんねえだろ。つうか聞けそれも」
「なんやいっつもポカリとか買ってく。テニスまだやっとるんて聞いたらそうなんやて。弟と一緒にコーチのバイトしてんねんて。弟もわかるやろ、あの」
「だから本人と話したんだったら聞きゃいいだろうが!」

 切れた。付き合いが十年にもなるというのにこのやりとりに飽きない自分が不思議である。

「跡部いま一人暮らしなん。知ってた?」

 岳人の家がごく近所だということをこいつは俺に言わなかった。俺が部屋に越してきた頃宍戸はどこか怯えているように見えた。鳳はそれをちゃんと知っていたしちゃんと自分をわきまえていた。だから部屋の鍵を俺に譲った。そば屋の二階の岳人の部屋で冷やしたぬきを啜りながら、俺はそんなことを岳人に言った。俺たちが全員で寄り道したりする時、言い出しっぺが慈朗でなければ岳人でなければそれは宍戸だったのに。

 跡部の新しいマンション、侑士のいく大学のそばだぜ。春になったらパーティーしようぜ。入学祝いやってやるよ。岳人の言う春はまるで明日のようだった。温かいたぬきそばには店のおごりでほうれん草が乗っていた。

 自分の行く道は先々までずっと、明るく照らされて何もかもすぐそこに見えるようだ。そんな目出度いことは十四の時にはもう思っていなかった気がする。何があるかわかれへんし、正しいことがすべからく為されるとも、納得尽くで生きてゆけるともあまり期待はしていなかった。それでもたまに正解する。適当にめくった二枚のカードがきちんと互いを指し示す。運命は働いている。

 春には跡部が機嫌の悪い子どものような顔をして俺に久しぶりだと言う。岳人がリビングボードに裏返された、跡部ばかり何枚も収められた写真立てを見つける。俺らのよく知っている奴の、俺らが知らない目の閉じ方を、ファインダーを覗く目が教える。長い長い時間をかけて情景は印画紙に焼き付けられる。

「泣くなや」
「泣いてねえ」
「けど泣けるやろ」

 ロマンス映画やん。宍戸は小さな声でまた激ダサだぜと言った。




(了)

2006年02月19日(日)

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