ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年04月17日(水) 花は野にあるように
 父の遺した覚え書きや日記を、家に帰るたびに少しずつ読んでいる。涙にくれて中断してしまい、なかなか進まない。父が日々どんなことを考えていたのか、生前は話し合うこともあまりなく、今になって悔やまれる。
 読んだ本の感想、新聞記事の抜き書きなどの中に、『花は野にあるように』という引用があり、調べてみると、利休の言葉らしかった。父はなぜ、どんな気持ちでそれを記しておいたのか。訊ねても問いを受け取るべき相手はいない。相手の占めていた空間に(実在も、心の中でも)ぽっかりと穴があいてしまう、人が死ぬというのはそういうことなのだと実感する。

 自分はPCとワープロソフトによって、思うことを文にまとめる術を得た。手書きでやるよりもダイレクトに、労力をかけずに出力することができる。はじめて自転車やスクーターに乗って行動半径が一気に広がったように、機械の補助は能力を拡張してくれる。

 父の日記は手書きだった。ブルーブラックのインクが入った細字の万年筆で、癖のある読みづらい文字で、日々思うところを綴っていた。キーを打ち、PCやソフトの使い方を覚える余暇などなかったと思うし、仮にそれができたとしても、内面を見つめ、定着させるには、たぶんキーボードでなく、手に馴染んだ万年筆が必要だったのだ。

 だけどもし、父がキーを打っていたならば、思いの丈をもっと楽に(自由に?)綴ることができたのではないか。そんな考えが浮かび、いや、そんなこともあるまいと即座に否定する。父は、兄が(一時期は稼業や家族をそっちのけで)PCとネットにかまけていることを苦々しく思っていたからだ。
 私自身がネットに惑溺しまくって生活パターンが乱れてしまっており、人のことを言える義理はないし、兄の気持ちもよく分かる。免疫のないものに熱中しやすい、困った血筋なのだ。

 モニタは向かう者の内面を写す鏡で、見たい姿だけを映し出すことがある。幻想に溺れる兄を見て、父は同じ道に踏み込むことに恐れを抱きながらも、ほんの少しだけ、機械を使ってものを書くことへの誘惑を感じてはいなかったか。父がモニタに表示されるテキストに向き合い、内面を掘り下げていったとしたら、その内的世界からは、どんなものが出力されていただろう。
 いくつかの条件が満たされて、父がPCをいじっていたならと、詮ない想像をしてみる。娯楽に耽るということのない人だったから、周囲の状況や自分で嵌めた枷から解き放たれ、純粋に書く喜びを味わえたなら、いくばくかの心の自由を得ることや、そして、もう少しだけ喜びのある晩年を過ごすことができたかも知れない。

 『花は野にあるように』。
 この言葉を書き写したとき父の心にあったのは、生き方なのか、顧客に対する態度への戒めだったのか。

 利休の意図や茶の湯の心は、現在の自分には分からない。いつか一端なりとも理解できる日がくるかどうか。いま、父の残したものを読んで感じたのは、「野に咲く花のように、自然に、自由に生きられたら」、引用にそんな願いが込められていたのではということだ。父の真意はどうだったのか、自分はこれから先ずっと考え、探し続けることになるだろう。

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※17日未明に書いたものを改稿しました。


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