ぶつ草



やりきれない現実

こんな記事がありました。


夫婦心中「ずっと一緒にいたかった」77歳と76歳 (毎日新聞)


凄く凄く、切なくなりました。
実際現場に関わってはいないのですが、介護保険施設に勤めて3年目になります。
その間にいろいろな方の相談を受けてきました。
親の介護が大変で、介護している本人が体を壊してしまいどうしたらいいかと相談に来る人。
兄弟間で誰も世話をしたがらないので「仕方なく引き取った」けど、自分も嫌だから一日も早く手放したいという人。
親が痴呆になってしまい、家に居たら何をするか分からないし自分も安心して働けないからどうにかしてくれという人。
お金はいくらでも出すから優先的に施設に入れて頂戴と言う人。
家族が凄く良く自分に尽くしてくれる。それが大変申し訳なく思い、自分から迷惑かけないように家を出たいので受け入れてほしいという人。
自分の親は最後まで看るつもりですが、将来が心配になってるんです、という人。
絶対施設の世話になんかなりません、と言う人。

ほんとに本当にもうたくさんの人の、沢山の思いを電話で、面接で受けてきました。

最初は介護の現実を目の当たりにして、ショックなことも多かったです。
最近あまりそう思わなくなってきたのは、慣れてしまったのでしょうか。

介護保険というものが始まって、負担が軽減された方も多いと思います。
利用者さんやその家族さんに「ありがとう」「これからもお願いします」と言われると、それを実感します。
他人事のようでも、いつかは必ず来る道。
自分の親だって、そして将来は自分だって、間違いなく通ることになる道。

しかし、それは必ずしもすべての人を救うわけではないのです。
施設のベッド数にも限りがある、なので満床だとそれ以上を受け入れることが出来ない。
例えそれが、緊急を要するものでも。
酷く近いところで、限界を目の当たりにしています。

制度ということで割り切っていく部分も多々あります。
そんな中、こんな風に互いが互いをつよく想っていたこの素晴らしい夫婦に、手を差し伸べられなかったことがとても辛く思えるのです。
もしかして、近所の人が、ケアマネが少しでも気を向けていたなら。
もしかして、この悲劇はなかったのかもしれません。

……あくまでも理想論です。

一人で何十人ものケアプランを抱えるケアマネさんに、ひとりひとりにじっくり向き合う時間というのは本当にないものです。
それもまた、悲しい現実です。

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2004年09月02日(木)




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