ぶつ草



蔵王・樹氷か遭難かの旅 その1

この話が持ち上がったのは年末のことだった。
言い出したのは父だった。
そういえば最後に白銀王国へ出かけようと思い立ったように言い出したのも父だった。
あれは確か4〜5年前の話で、行き先は赤倉温泉だった。
夜行バス往復というなかなか強行の旅だった。
そのときの記憶と言えば、帰りのバス待ち。
夜なので気温はぐんぐん下がり、待合室の石油ストーブも設定温度30℃にも関わらず表示温度は8度。
バスは予定時間を3時間、4時間過ぎてもやってこなかった。
他のバスの乗客がどんどん待合室から居なくなり、残された私達は身を寄せ合うようにしてバスを待った。
バスが定刻に来なかったのは、その「定刻」が大幅に変更されていたこと。
そしてその変更を乗客が居る宿に前もって伝えていなかったことにあった。
外は吹雪だし、気温はどんどん下がるしで、本当に凍死するんじゃないかと思った。
最後の思い出はそんな最悪なものだった。

それからは私や妹の受験、祖父の体調不良と入退院でウインタースポーツとは疎遠になっていた。
私も大学を卒業し、妹も大学に入学、祖父も去年亡くなったのでふと、父は思い立ったようだ。
やたら鞄からスキーやスノーボード関係のパンフレットやツアーパンフレットが出てくるので「もしや」とは思っていましたが。

スキーに行くぞーっ、と父上の号令が下り、まず困ったのは私の休暇。
仕事上、事務職といえども何連休も取ることが非常に難しいのでして。
ましてや3連休なんて新入職員の私が取るコトなんて許されるのかっ?
なーんて葛藤がありつつ。
公休と有休とは別の休暇を組み合わせ、パートの事務員さんに頼み込んで取りましたよ3連休!
はー、帰った次の日が怖いな、と思いつついってきまーす、となりました。

…前置き長すぎやっちゅーねん…

家からは関空が近いのですが、今回は伊丹空港より。
(前日まで全然行動予定知らなかったので、家族にかなりシラけられました)
飛行機で移動ー。
私にとってはあり得ない朝4時起床でテンションがイカれておりましたので、空港までの車中何があったのか覚えていません。
飛行機に乗ったのも覚えてないな…
気が付いたら山形空港。
そこからバスに乗り換えて約2時間、だったそうですが。
気が付いたら蔵王温泉。
到着でした。

バスターミナルからお迎えのワゴン車に乗って今回お世話になる宿屋に。
直ぐ目の前はゲレンデ!という好条件のロケーションで、とりあえず昼食。
(あれ?そういえば朝ご飯って食べたっけ?)
お昼が終わったら早速ゲレンデー!
一応オフ・シーズンだそうで、スキーのレンタルも格安で。
一時マイスキーが欲しかったけど、先々に持っていくのの面倒だったから却下。
スノボは一度やって二度とやるもんかと誓ったし(苦笑)。
とにかく。
半日だけだけど滑ることに。
平日、そしてバカでかいゲレンデと言うこともあって、ゲレンデはほぼ独占。
父上の目が輝いたのは言うまでもありませんで。
いきなり「山頂へ行こう」と言い出しました。
普段は整理券がないと上れないくらいなんだそうで。
ロープウェーやリフトの乗り継ぎでなんとか山頂にたどり着いたのですが。




真っ白。




風が強いし、視界ゼロだし。
何処が滑走可能か分からないし。
え?樹氷ってどこですか?
…って状態だし。
怖いからー、って連なって滑っていったのですが、ちょっと遅れるともう前の姿が見えない!
山の天気は変わりやすいって言いますから。
ほんと、これ、身をもって体験しました。
滑り初めが午後だから、きっとその時はもう3時過ぎていたと思うんです。
結構リフト営業の終了が早くって。
「ここまで降りて、このリフトに乗ったらこっちのゲレンデに帰られるから」
と父上が力説するのですが。


「ここまで」の「ここ」って何処よ…(涙)


何回も言いますけど視界ゼロのこの場所で。
右も左も上も下も真っ白のこの場所で。


どっちに滑んねやーっ


命からがら降りてきたそこは、宿屋とは全くの反対方向。
迎えに来て貰ったのは言うまでも無し…
すみません。
ご迷惑おかけしました。

そんなうっぷんからか。
その日の夜は家族して(父除く)日本酒飲んで8時にはへべれけだったのは言うまでも無し…





↑真っ白まぢっく



2003年01月17日(金)




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